女性だけど好きなことを諦めなかったベルト・モリゾの生涯とは?

こんにちは!

今回は、印象派の画家として人気なベルト・モリゾについてです。

早速見ていきましょう!

ベルト・モリゾ(1841-1895年)

ベルト・モリゾ《自画像》1885年

ベルト・モリゾは、フランスの印象派の画家です。

彼女が生きた時代、女性が1人で出かけることも、知人の紹介なしに男性に話しかけることも、そして仕事をすることもタブー視されていました。

そんな時代に彼女が画家として成功できたのは、ベルトの努力と才能はもちろん、ブルジョワ、周りが理解してくれたなど、運の良さもありました。

フラゴナールの家系?

フランス中部ブルージュで生まれました。

イヴとエドマという姉と弟がいました。

父親は高級官僚でした。ブルジョワです。

モリゾ家は、ロココ時代の画家フラゴナールの家系だといわれています。

音楽家になりたかった母親は、3人の娘にピアノデッサンなどの芸術的教育をおこないました。

16歳のとき、アングルに絵を学んだことがある画家のギシャールに、ベルトと姉エドマは絵を習います。

18歳のとき、ギシャールに勧められ、2人はルーヴル美術館に絵を模写しに出かけます。

そこで画家ラトゥールたちと出会いました。

外での制作

ベルト・モリゾ《夏の日》1879年頃

20歳のとき、ギシャールの紹介で彼の友人の画家コローにベルトとエドマは師事します。

コローは戸外制作をする画家なので、ベルトも外の光と自然の描写の仕方について学ぶことができました。

コローの元には、ピサロ、モネルノワール、シスレーも訪れていました。

サロン

23歳のとき、ベルトとエドマはサロンに初出品し、初入選します。

以降4回連続入選しています。

アーティストの母と妹

ベルト・モリゾ《読書》1869-1870年

姉エドマと母を描いた作品です。

妊娠のため、実家に戻ってきたエドマと、読書中の母親が描かれています。

この絵をサロン提出前にマネに見てもらったところ、アドバイスどころか加筆し始め、マネ仕様に仕上がります。(笑)

ベルトは相当ショックだったようで、エドマ宛の手紙に「この絵がサロンに入選するくらいなら、川へ身を投げたほうがマシ」と書いています。

最終的にはサロンへ出品し、入選しています。

ドガが描いた姉のイヴ

マダムテオドールゴビラード(イヴモリゾ、1838–1893)、エドガードガ(フランス、パリ1834–1917パリ)、キャンバスに油彩

エドガー・ドガ《テオドール・ゴビラール夫人》1869年

25歳のとき、姉のイヴが税務調査官のテオドール・ゴビラールと結婚しています。

ドガはイヴの絵を何枚か描いています。

マネとの出会い

エドゥアール・マネ《バルコニー》1868-1869年

27歳のとき、ルーヴル美術館でラトゥールからマネを紹介されます。

マネのモデルを多く務めながら、マネの絵画を間近で見て学びました。

姉エドマの結婚

ベルト・モリゾ《読書》1873年

28歳のとき、姉のエドマが、マネの紹介で出会った海軍将校と結婚し、引っ越してしまいます。

いつも一緒だったエドマと離れることになり、とても寂しかったそう。

2人はその後も親密な手紙のやりとりが残っています。

エドマの家族とも仲が良く、彼らはベルトの仕事をサポートしました。

上の絵のモデルはエドマです。

マネの弟子

エドゥアール・マネ《エヴァ・ゴンザレスの肖像》

エドマとは結婚で離れ離れになってしまいましたが、その代わりに、マネと親密になっていきます。

マネの元に、20歳のエヴァ・ゴンザレスという女性画家が弟子入りします。

モリゾはマネのモデルだったので、弟子ではありませんでした。

エヴァは忠実にマネの技法を真似しましたが、ベルトはマネの技法を吸収した上で、自分流に絵を描きました。

印象派展

ベルト・モリゾ《ゆりかご》1872年

33歳のとき、第1回印象派展に出品します。

上の作品のモデルは姉エドマと2人目の娘ブランシュで、このときに出品した作品です。

以降7回出品しています。

後ろから見た、女性のゆったりとした大きな筆で描かれた肖像画を描いた、ゴージャスな白いオフショルダーのドレスと黒いチョーカーを着たブロンドの髪は、左の鏡で自分を調べています。 背景は羽毛の渦巻きで、グレー、パープル、ピンク、ブルーのクールな淡いトーンのフローラルパターンを示しています。

ベルト・モリゾ《化粧をする後向きの若い娘》1875-1880年

この絵は1880年の第5回印象派展に出品した作品です。

ふわふわのブロンドの髪、サテンのドレス、パウダーパフ、花びらの香り漂う作品です。

鏡の下の枠部分に、サインが入っています。

マネの弟と結婚

《ワイト島のウジェーヌ・マネ》1875年

ベルトの父親が亡くなり、母親はなんとかベルトを結婚させようとします。

マネの弟ウジェーヌと結婚します。

最愛の娘ジュリー

ベルト・モリゾ《ブージヴァルの庭にいるウジェーヌ・マネと娘》1881年

37歳のとき、娘のジュリーが生まれます。

彼女は娘をたくさん描きました。

42歳のとき、マネが亡くなります。

46歳のとき、詩人マラメルの詩の挿絵を、ルノワール、ドガ、モネと一緒に描きました。

マラメルはベルト亡き後、ジュリーの後見人になっています。

49歳のとき、メアリー・カサットと仲良くなり、一緒に日本展を見学します。

51歳のとき、夫ウジェーヌが亡くなります。

同じ年に、モンマルトルの画廊で初個展が開催されました。

53歳のとき、ブリュッセルの自由美術学展に出品し、大成功を納めます。

54歳のとき、ジュリーのインフルエンザがうつり、肺炎で亡くなります。

葬儀には、友人のルノワール、ドガ、マラメル、ピサロらが参列しました。

まとめ

ベルト・モリゾは、家庭内の日常を優しげな雰囲気で描いた画家
・を多用した