こんにちは!
今回は、デュフィについてです。
早速見ていきましょう!
ラウル・デュフィ(1877-1953年)
ラウル・デュフィ《自画像》1935年
ラウル・デュフィは、フランスの画家です。
音楽大好き一家
北フランスの港町ル・アーヴルの、9人兄弟の長男として生まれました。
金属会社で会計士をしていた父親は音楽好きで、日曜日には教会で指揮者兼オルガン奏者を務めていました。
母親はヴァイオリン奏者でした。
9人中4人が男の子で、2人は音楽家に、2人は画家になりました。
デュフィは幼い頃から絵を見るのが好きでした。
画家を志すように
14歳のとき、家計を助けるため、コーヒーを輸入する貿易会社で、積荷管理の仕事をしました。
画家を志し、夜はデッサン教室に通い、ここで画家のブラックと出会いました。
デュフィは、右手で描くのに飽きたという理由で、左手で絵を描くようになりました。(文字は右手)
後に、ヴィアール博士邸の食堂壁画の仕事では、両手で別々のモチーフを描く芸も披露しています。
23歳のとき、ル・アーヴル市から奨学金を受け、パリ国立美術学校へ入学し、画家レオン・ボナのアトリエに入りました。
デュフィはデッサンばかりの授業に早々に飽きてしまいましたが、アトリエがタダで使えるという利点から4年間しっかり通いました。
授業よりも、街の画廊に飾られているモネやピサロの絵に興味津々でした。
ラウル・デュフィ《ファレーズ、教会の広場》1901年
24歳のとき、画家マルケと出会い、以降度々制作旅行に出かけました。
フォーヴに影響を受ける
ラウル・デュフィ《プロヴァンスの風景》1905年
28歳のとき、印象派に心酔していたデュフィは、アンデパンダン展やサロン・ドートンヌでフォービズムを見て、その色彩と形に影響を受け、フォーヴ時代を迎えました。
ラウル・デュフィ《レガッタ》1907-1908年
30歳頃の収入は、奨学金の月100フランのみでした。
デュフィの周りも貧乏暮らしの仲間ばかりでした。
デュフィは持ち金を全部宝くじに使って無くしてしまうような性格でしたが、常に身ぎれいにし、生活苦を感じさせなかったとか。
デザイナーとしての才能開花
33歳のとき、アポリネールの「動物詩集」のための挿絵の依頼がきたため、木版画を制作しました。
しかし、120部のうち半分も売れず、出版社が倒産してしまいました…。
34歳のとき、木版画からデザインセンスを見抜いた服飾デザイナー、ポール・ポワレに布地デザインを頼まれました。
画家仲間からは「職人仕事」だとバカにされましたが、デュフィはこの仕事を通して、自らの装飾性に目覚めました。
ラウル・デュフィ《デュフィ夫人の肖像》1930年
この頃、エミリエンヌと結婚しました。
35歳のとき、100点を越す、テキスタイル・デザインを手がけました。
絹にプリントされた絵は光沢を放ち、実に鮮やかなものでした。
これを見たデュフィは「色とは光のことなんだ!」と気付き、光が色のかたまりなら、光の強い土地に行けばいいのでは?と考えます。
新しいスタイルを確立
ラウル・デュフィ《ニースの埠頭》1926年
40歳頃、南仏やイタリアに滞在し、制作しました。
石版画も始めました。
ラウル・デュフィ《カモメとレガッタ》1930年
輪郭線と色がずれる独自のスタイルも完成しました。
これは、ある日、赤い服を着た女の子が走り去る姿を見て、人の形より赤い色が先に認識でき、長く印象に残ったことから思いついた描き方でした。
この考えを進めて「カラーゾーン」という技法を生み出しました。
58歳のとき、新しいメディウムを使い始めました。
これは、水彩の透明感で堅牢な油絵具を作りたいと科学者マロジェに相談し、出来上がった新しい絵具でした。
超大作「電気の精」
ラウル・デュフィ《電気の精》1937年
60歳のとき、パリ万博電気館の壁画「電気の精」を制作しました。
これは縦10×横60メートルの超巨大な作品でした。
壁画に描く108人の科学者、技術者たちは、モデルを使いデッサンしました。
デュフィは一度ヌードでデッサンし、その上に時代に合った服を描きました。
ガラスに描いた下絵を壁に投影して描きました。
61歳のとき、この壁画を制作中に多発性関節炎を発症し、以降、激しい痛みと戦いながら制作を続けました。
オマージュ作品
ラウル・デュフィ《ムーラン ・ド・ラ・ギャレット(ルノワールを模して》1939年
ルノワールやボッティチェリをオマージュした作品を制作しました。
ラウル・デュフィ《ヴィーナスの誕生(ボッティチェリを模して)》1940年
晩年
65歳のとき、ルイ・カレ画廊と独占契約を結びました。
ラウル・デュフィ《ヴェルネ=レ=バンの温室》1943年
75歳のとき、ビエンナーレ国際絵画大賞を受賞し、賞金は仏伊芸術家交流基金として寄付しました。
その数ヶ月後に亡くなりました。
まとめ
・デュフィは、鮮やかな薄塗りの色面に自由な線描で独自の世界を表現した画家