こんにちは!
今回は、ターナーの有名な面白いエピソードを紹介します。
早速見ていきましょう!
ターナーVSコンスタブル
1832年のロイヤルアカデミーの展覧会でのエピソードです。
展覧会では、出品された絵が一般公開される前に、画家が絵の状態を最終チェックする日があります。
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ウィリアム・パロット《ニス塗りの日のターナー》1840年頃
ターナーは展覧会会場で最後の手直しをすることで有名でした。
自分の作品の隣に、↓のコンスタブルの明るい絵が飾られていました。
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ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホール階段からの眺め、1817年6月18日)》1832年
自分の作品より、コンスタブルの作品の方が目立つと思ったターナーは、自分の絵に赤の絵の具でワンポイント足して去っていったそう。
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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年
それがこの作品です。
手前に赤いものがありますね。
![](http://omochi-art.com/wp/wp-content/uploads/2020/11/9a45120ec1e5cde116b093eaa01bf42f.png)
何かというと、赤いブイです。
ブイというのは、係船や航路標識のための浮標、簡単にいうと海の道しるべです。
ブイの形にしたのは後からのようで、とりあえず赤い点をキャンバスに残していったそう。
この赤いブイがあるのと無いのとでは、絵の引き締まり具合が違いますね。
これを見たコンスタブルは、「ターナーはここにやってきて、銃をぶっ放していったよ」と言ったそう。
負けず嫌いなターナーらしいエピソードでした!