最強のヤンキー 破天荒な画家カラヴァッジョを超解説!

こんにちは!

画家史上最強の不良カラヴァッジョという画家を知っていますか?

不良だけど、画家としての才能はものすごくありました。

どんな画家だったのか早速見ていきましょう!

最凶のヤンキー カラヴァッジョ(1571-1610)


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《果物籠を持つ少年》

こちらの絵画はカラヴァッジョの自画像と言われています。

カラヴァッジョはイタリアのカラヴァッジョ村に、大天使ミカエルの日に生まれたので、ミケランジェロと名付けられました。

ミカエルのイタリア語をもじったものがミケランジェロです。

そんな名前の由来ガン無視の人生を歩んでいくことになります…

10〜20代 ヤンチャ期

カラヴァッジョは子供の頃から短気怒りっぽく強引な性格でした。

父・母共に10代前半までに相次いで亡くなっています。

当時のイタリアは治安がとても悪く、殺人などの事件が多発、警察も腐敗していました。

10代のカラヴァッジョはフレスコ画家に弟子入りして働いていましたが、あ〜なんか違くね?っとなります。

22歳のときに、ケンカで役人をボコボコにしてローマへ逃亡します。

病み期


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《病めるバッカス》

画家ダルピーノの工房で助手として働き始め、「花と果物の絵画」スキルが開花します。

上の《病めるバッカス》はカラヴァッジョが重い病気でダルピーノ工房から解雇された後、

回復してきたあたりに描いた自画像です。

そう思って見るとすごい。寝てたほうがいいんじゃない…

具合悪そう…

イタリア絵画史上初の静物画


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《果物籠》

イタリア絵画で初めて静物画を描いたのは、なんとカラヴァッジョなんです。

当時、こんなに枯れた葉っぱを描いたのも相当珍しかったそう。

運命の出会い


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《バッカス》

ローマの枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテがカラヴァッジョの絵に目をつけ、

そこからは地位の高いパトロンからの注文が舞い込んでくるようになります。

カラヴァッジョの描く若い男性は色っぽいです。

このローマの枢機卿もカラヴァッジョも同性愛者だったのでは、と言われています。

デッサンをしない

カラヴァッジョって本当にすごい画家なんですが、なんと、1枚もデッサンしなかったんです!

これはとても異例です。

デッサンしてから、本番のキャンバスに描くのが一般的な方法ですが、カラヴァッジョは最初からキャンバスに絵を描きました。

それでいて、ものすごく上手いんだから、本当に天才ですね…。

ローマで最も有名な画家に


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

枢機卿から教会の室内装飾の依頼を受け描かれた内の1枚です。

キリストがマタイを呼びにきたという聖書の中の場面を、イタリアの街のどこかで起こっているように描きました。

右奥のビシッと指を指しているのがキリストです。

マタイについては、中央の自分を指差しているように見えるひげ長の人物、もしくはの俯いている青年ではと言われています。

暗い画面の中に一筋のが差しています。

この光こそ神では??

と思わせるこの強い明暗こそ、カラヴァッジョの特徴です。

この絵が公開されると、たちまち話題となり、一気にカラヴァッジョの名声は高まりました。

ですが、カラヴァッジョの素行の悪さは増していくばかり…

30代 ヤンキーというか もはや凶悪犯

裏社会の人間から見ても、カラヴァッジョはケンカっ早くてヤバいやつだと思われていました。

仲間とケンカするわ、レストランのウェイターに皿を投げるわ、警察沙汰なんて日常茶飯事でした。

そしてついに大事件が起こります…!

友人を殺害

カラヴァッジョ35歳、テニスの賭けが原因で友人と口論になり、勢い余って殺してしまいます。

今までは問題を起こしても、カラヴァッジョのバックには多数の有力者のパトロンがいたため、大目に見られていました。

しかし、今回はどのパトロンからも助けてもらえず(自業自得)、ローマから逃げ出します。

指名手配犯の画家

ローマの司法権の及ばないナポリへ、そしてマルタへたどりつたカラヴァッジョ。

マルタの騎士団長の庇護を得て、ナイトの称号をもらい、大喜びします。

殺人犯を庇護してもいいと思わせるカラヴァッジョの画家としての力すごすぎる…

ですが、またしてもケンカ投獄からの騎士団を除名されます。

全く学びません。

そして脱獄し、逃げ回る日々が始まります。

シチリアへ向い、またナポリへ戻ったところで襲撃に遭い負傷します。

流石にもう疲れたのかここからは恩赦を求め、絵を描いて有力者に送ったりし始めます。

そしてどんだけ愛されてるんだよって思いますが、ローマの有力者達が動いてくれて、恩赦を受けられそう!ということで、ローマへ向います

謎の死

ですが、現実はそう上手くいきませんでした。

カラヴァッジョはローマにたどり着くことはありませんでした。

カラヴァッジョの死については、情報が錯綜しており、正確にはわかっていません。

死因は熱病だったとも、鉛中毒(当時の顔料には多量の鉛が含まれており、画家の職業病)や暗殺だったとも言われています。

3枚の絵

カラヴァッジョは恩赦の返礼品として3枚の絵を持ってローマへ向かうつもりでした。

2点の洗礼者ヨハネを描いた絵画と、マグダラのマリアを描いた絵画です。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》

こちらがその中の1枚だと言われている作品です。

もう一枚の《洗礼者聖ヨハネ》は所在不明です。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《法悦のマグダラのマリア》

2014年に見つかったばかりのこの作品がそうでは?と言われています。(言うのはタダですからね)

2016年のカラヴァッジョ展でこの作品が来ていたので、見たことがある人もいるはず。

私も会場で見ましたが、この作品だけなんか異質…迫力がありました。

実際はこの画像より背景は暗く、マグダラのマリアがぼぅっと浮かび上がっていました。

ちなみに暗い部分に十字架が描かれています。

まとめ

39年という短い生涯を破天荒に生きた画家は、心休まる時間というのが人生の中にあったのかなぁなんて考えてしまいました。

小さい頃に相次いで両親を亡くすという経験も、カラヴァッジョの性格や人生に大きく影響したのだと思います。

若くして才能を認められ、有力者のパトロンが付くというのは、画家の人生としては大成功なはずなのに。

他の画家と違ってカラヴァッジョは下絵を描かず、直接絵を描いていたこともあって、制作スピードは早かったなんてエピソードも、天才って感じなのに。

・カラヴァッジョ特有の強い明暗は後の画家達に大きな衝撃と影響を与えた
・若くして名声を得た天才画家は死ぬまで最強のヤンキーであり続けた