トリスタンとイゾルデを超解説!誤って飲んだ媚薬のせいで…?

こんにちは!

今回は、トリスタンとイゾルデの物語についてです。

早速見ていきましょう!

トリスタンとイゾルデ

ジョン・ダンカン《トリスタンとイゾルデ》1912年

アーサー王伝説に登場する円卓の騎士トリスタンと、マーク王の妃イゾルデは、禁断の恋に落ちます。

アーサー王伝説と言われるだけあって、物語自体は創作ですが、アーサー王らしき人物は実在したかもしれないそうで…(とはいえ、いないと断言できないというだけで、可能性はほぼゼロに近い)

『トリスタンとイゾルデ』の物語は、元々は独立した作品でしたが、アーサー王物語に組み込まれました。

恩人のマルク王

エドワード・バーン=ジョーンズ《マーク王と美しいイゾルデ》1862年

騎士トリスタンは生後すぐに両親を亡くし、父の家来に引き取られますが、 誘拐された末に海に流されてしまいます。

たどり着いた先の領主マルク王に拾われ、王に仕える騎士となりました。

媚薬ハプニング

ハーバート・ジェームズ・ドレイパー《トリスタンとイゾルデ》1901年

マルクに嫁ぐアイルランド王女イゾルデは、王のもとに向かう船のなかで、母からマルク王と一緒に初夜に飲むよう渡された媚薬入りの酒を、誤ってトリスタンと飲んでしまい、激しい恋に落ちてしまいます。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス《媚薬を持ったトリスタンとイゾルデ》1916年頃

王の相談役は何度も2人の仲を疑いましたが、トリスタンとイゾルデは無実であるように見せかけ続けました。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《媚薬を飲むトリスタンとイゾルデ》1867年

トリスタンはマルク王を師また養父として尊敬し愛していたし、イゾルデは政略結婚であるにもかかわらず彼女に優しいマルク王に感謝していました。

ウィリアム・ストット《王女イゾルデ》1891年

マルク王もトリスタンとイゾルデを息子、また妻として愛していました。

アウグスト・シュピース《媚薬を飲むトリスタンとイゾルデ》1883年

しかし、3人は夜ごと恐ろしい未来を予告する悪夢に悩まされるようになります。

エドワード・バーン=ジョーンズ《トリスタンの狂気》1862年

上の絵では、イゾルデへの愛に狂って森をさまようトリスタンに、1人の乙女が竪琴を与え、音楽によって正気に戻らせるシーンが描かれています。

音楽が心を鎮めるものであることを示しています。

秘密の恋がバレる

アウグスト・シュピース《マルク王によって発見されたトリスタンとイゾルデ》1883年

マルク王はついにトリスタンとイゾルデの不貞に気づき、処罰を与えることを決意します。

ユーグ・メルル《トリスタンとイゾルデ》1870年頃

それはトリスタンを火刑に処し、イゾルデを癩病患者の家に閉じ込めるというものでした。

ガストン・ビュシエール《トリスタンとイゾルデ》1911年

トリスタンは礼拝堂から飛び降りて処刑から逃れ、イゾルデを救出しました。

アウグスト・シュピース《庭のトリスタンとイゾルデ》1883年

2人は森へ隠れ、マルク王に発見されるまでの日々をそこで過ごしました。

シドニー・メテイヤード《トリスタンとイゾルデ》

しかしながら、トリスタンはイゾルデをマルク王に返し、自身はコーンウォール(マルク王はコーンウォールの王)を去るという条件で王と和解しました。

トリスタンはブルターニュへ赴き、そこで美しく先の恋人と同じ名前を持つ、ブルターニュ王の娘、白き手のイゾルデと結婚しました。

束の間の密会

《歌の終わり(トリスタンとイゾルデ)》1902年

別説では、トリスタンはイゾルデのためにハープを奏でていた時に、マルク王の毒槍で致命傷を負いました。

フォード・マドックス・ブラウン《サー・トリスタンの死》1864年

重傷のトリスタンが死ぬと、イゾルデもあとを追うようにして死んでしまいました。

ロジェリオ・デ・エグスキザ《トリスタンとイゾルデ(死)》1910年

フランスの詩人ベルールやトマの作品で知られるトリスタンとイゾルデの物語は、ワーグナーの歌劇やコクトーの映画でも有名になり、絵画にも数多く描かれています。

アウグスト・シュピース《イゾルデの死》1883年

ダリ&シャネルが制作したバレエ

サルバドール・ダリ《トリスタンとイゾルデ》1944年

ダリは、ワーグナー作曲の『トリスタンとイゾルデ』に着想を得て、バレエ『狂えるトリスタン』をプロデュースしました(衣装はココ・シャネルが制作)。

上の絵は、タンポポの方がトリスタン、カートが背中に突き刺さっている方がイゾルデです。

これらの絵は、その際に描かれたものです。

サルバドール・ダリ《狂えるトリスタン》1938年