こんにちは!
今回は、長谷川等伯の「松林図屏風」を解説します。
早速見ていきましょう!
松林図屏風
長谷川等伯《松林図屏風》16世紀
左隻(させき)
右隻(うせき)
国宝
国宝「松林図屏風」は長谷川等伯50代(55歳くらいだとも)のときの作品で、彼の代表作です。
現在は東京国立博物館に所蔵されていて、基本的にはお正月の短い期間だけ鑑賞することができます。
そのときのレポ↓
息子の死
本作が描かれた正確な年は不明ですが、彼の息子、久蔵が26歳という若さで亡くなった頃に描かれたともいわれています。
下絵にしては高級すぎる
本作は、誰が彼に制作を依頼したのかも、どこに描かれた作品だったのかもわかっていません。
元々はもっと大きな絵で、完成作でなく寺院の障壁画の下絵として描かれたものを、後からトリミングして屏風に仕立てられたと考えられています。
禅宗寺院の「方丈」つまり「お堂」の、ひとつの部屋を飾っていた障壁画、ふすまや壁に描かれた絵の一部だけが切り取られて残ったようです。
また本作の紙が、通常の紙とは違っています。
本来は本画で使うような真っ白な紙のはずが、この作品では生成り色で、所々にぼこぼこした粗い繊維が残っており、あまり見ない紙なんだそう。
紙を継いで作る屏風の画面は、普通なら紙継ぎの位置がそろうはずなのに、本作ではずれている部分があります。
そのことからも、本番前の下絵だといわれています。
また、完成作では考えられないような、墨が無造作に撥ねた痕跡が画中のあちこちにあり、枝先や根元には紙を垂直に立てて描いたためであろう墨溜りができています。
これだけ聞けば、じゃあ下絵だねということになりますが、実は本作には、下絵では普通使わないであろう最高級の墨が使用されています。
下絵どころか、当時こんないい墨を使って描いた絵はこの絵くらいしかないそう。
天皇が使う最高級の墨と同レベルなんだとか。
また、実際に屏風を立てて観察すると、屏風が奥へ折り曲げられている箇所では樹木も奥に向かい、手前で折られている部分では、松樹は濃墨で描かれ奥になるほど淡墨になる、といった屏風絵として鑑賞されることを想定しているとしか思えない描き方がされています。
偽物のハンコ
作品の端には長谷川等伯というハンコが押してありますが、なんとこれ、偽物なんだそう!
本物の等伯のハンコとは形が違います。
というか、「等伯」の「伯」の字のつくりが「目」になっています。
さらに、なぜ本物の作品に偽物のハンコが押してあるのかもわからないそう。
等伯の下絵を本作のように屏風にした人物が偽のハンコを押したのかもしれません。
あるいは、後代の誰かがこれは等伯の絵なんだしハンコ押しとくか!となって自分で作って押したのかもしれません。
本当は左右逆が正しかったのに、この方が構図的にいいと考え意図的に押したのかもしれません。
どうして偽の印があるのに絵は本物だといえるの?
等伯の作品は、他の絵師と違って海外流出もなく、日本にたくさん残っているため(水墨画で80点くらい)、他の絵と比べることができ、明らかに彼の作品だとわかるからなんだとか。
永遠の象徴の松
松は、落葉しないため永遠の象徴とされており、めでたいモチーフとして昔から描かれてきました。
モデルとなった場所は?
左隻の右端上に山が描かれています。
モデルとなった場所は諸説あり、正確にはわかっていないそう。
等伯は石川県能登、七尾出身のため、能登半島にある松林を描いたのでは?ともいわれています。
しかし、この絵は京都の寺院から発注を受けて描いた絵だと考えられているため、だとしたら自分の故郷ではなく、有名な名所を描くはずです。
松の名所といえば三保の松原、だとしたら描かれている山は富士山だということになります。
左右が逆?
正しい「松林図屏風」
左右を入れ替えた「松林図屏風」
「松林図屏風」、実は左右逆なのでは?ともいわれています。
この偽のハンコがあることで、この並びだと思ってしまいますが、むしろそう思わせるために誰かがわざと偽のハンコを押して位置を逆にしたかもしれないそう。
月夜松林図屏風
伝 長谷川等伯《月夜松林図屏風》17世紀
「松林図屏風」に似た屏風があることを知っていましたか?
こちらはなんと夜バージョン、紙の裏側に墨を塗ることによって夜の静けさを演出しています。
左隻
山が月に変わっています。
左から3番目の部分で、絵がぶつ切りになっているように見えますが、この縦の部分に5枚の紙が貼ってあり、その位置が間違っている可能性があるそう(上から2枚目を4の後に入れる)。
右隻
左右を入れ替えた「月夜松林図屏風」
この屏風も左右が逆なのでは?といわれています。