フェルメール「絵画芸術」を超解説!どんな意味が隠されてる?

こんにちは!

今回は、フェルメールの《絵画芸術》を解説します。

早速見ていきましょう!

絵画芸術

ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》1666-1668年

この作品は、一見しただけでは、17世紀の画家のアトリエをそっくりそのまま描いたもののように見えますが、実は違います。

絵画という芸術そのものへの礼賛を表しています。

画家

 

絵の中に画家が描かれていと、どうしてもその絵を描いた画家の自画像だと思いたくなってしまいますが、この人物が誰なのかわかっていません。

というよりも特定の人物を描いたのかすらわかりません。

もっと言うと、着ている服は作業着ではなく、当時の人が見ても現実離れした時代遅れの格好でした。

とはいえ、この人物はおそらくフェルメール自身が絵を描くときのスタイル(立つよりも座った姿勢でイーゼルに向かい、腕鎮を使用する)と同じ格好をしていると推測することができます。

また、フェルメールによるものとして知られているドローイングが存在しないため、描かれた画家のように、下書きを紙に描くのではなく、用意したキャンバスに直接描いていたのかもしれません。

歴史のミューズ

 

女性の衣服や手に持っているものなど、様々な要素から、彼女が歴史上のミューズ(創造的発想の女神)のクレイオだとわかります。(もちろんクレイオ本人を描いたのではなくて、モデルがクレイオに扮しているという設定)

月桂樹の冠は栄光を象徴し、トランペットは名声を意味し、手に抱える書物は歴史的記録をを示しています。

これらの特色は、チェザーレ・リーパの『イコノロジア』に記されているクレイオの説明と一致します。

『イコノロジア』は寓意画像についての説明書で、17世紀の芸術家たちによく使われていました。

オランダ語版は1644年に刊行され、フェルメールもおそらくこの翻訳版を持っていたと考えられています。

仮面

 

クレイオの格好をしている女性の前にあるテーブルの上に、石膏の仮面があります。

ただアトリエの小道具が置かれているというようにも解釈できますが、仮面は芸術においていろいろな意味と関連性があります。

この作品では、ほぼ確実に、模倣を象徴化しようとしています。

リーパの『イコノロジア』では、仮面は絵画の人格化の象徴のひとつであると記されています。

地図

 

壁に掛かっている地図は、1636年に刊行されたものです。

これは、フェルメールの母国ネーデルラント連邦共和国の歴史についての愛国者精神をほのめかすものなのかもしれません。

連邦共和国は地図の中央の折り目の右側に記され、スペイン領ネーデルラント(現在のベルギーとほぼ同じ領域)は左側に記されています。

連邦共和国は1609年にスペインの支配から実質的に自由を勝ち取りましたが、1648年までスペインから公式には認められませんでした。

南部地域は17世紀の間、ずっとスペインの支配下にありました。

カーテン

 

オランダの芸術家は、しばしば作品の中に、一部開かれた重いカーテンを空間の側面として描きました。

フェルメールも複数の作品に用いています。

絵の鑑賞者にプライベートな空間を垣間見せるために、カーテンが引かれたのだと示唆することで、親しみの感情を生み出す効果があります。

 

このようなカーテンを描くことによって、画家は複雑な生地を描く自分の腕を披露することができました。

フェルメールが、生地の粗さと同様に重量感まで、人を納得させるように真に迫った表現力に優れた画家だったということがわかります。

市松模様の床

 

フェルメールの作品のいくつかに、同じタイプの市松模様の床が描かれています。

そのことから、彼の屋敷にはおそらくこのような床があり、それをモデルとして用いたとだろうと考えられています。

強いパターンは奥行きを生み出す効果があります。

フェルメールの作品のうち約12点に、遠近法のための消失点にあたるところに、ピンを差した穴があり(これは通常はX線でしか見ることができません)、フェルメールはそこからキャンバス上に糸を張って、床のパターンを正確に描くために利用したことを表しています。

誰もが欲しがる名画

本作は、フェルメールが自分の技量を証明するために描いた作品だと考えられていますが、さらに彼にとって特別な意味を持つ絵でもあったようです。

というのも、フェルメールは亡くなるまでこの絵を手元に置いていました。

彼の死後、未亡人が屋敷内の作品を借金返済のために売りに出したときでさえも、この作品は売らずに手元に置こうと試みていました。(結局失敗しましたが)

19世紀になるまでその所在ははっきりとしていませんでしたが、1813年にオーストリアの貴族ツェルニン伯爵が購入しました。

このときは、フェルメールの同時代の画家ピーテル・デ・ホーホの作品だと考えられていました。

1940年、ヒトラーが個人コレクションとしてウィーンのツェルニン家から買い取りました。

その頃には、この作品はフェルメールの最高傑作のひとつと認識されていました。

戦後、ツェルニン家はこの作品を強要されて売却したものであり、返却されるべきであると主張しましたが、1946年にオーストリアの国有財産となりました。