クールベ「画家のアトリエ」を超解説!謎の巨大な絵に込めた意味とは?

こんにちは!

今回は、クールベの《画家のアトリエ》を解説します。

早速見ていきましょう!

画家のアトリエ

ギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ 私のアトリエの内部、わが7年間の芸術的な生涯を要約する現実的寓意》1854-1855年

自己顕示欲の強い作品

クールベは、洞穴のようなアトリエで、謎めいた人々に囲まれて制作する自分自身を描きました。

3.61×5.98メートルというとても大きな作品です。

この作品は、1855年に開催されたパリ万博のために描いたものでした。

しかし、選考委員会に却下されたため、並外れた自信家だったクールベは、万博開場の前に自費で「レアリスム・パビリオン」を建てて個展を開きました。

クールベの展覧会は、経済的にも批評の面でも不成功に終わりましたが、これが世界初の個展だといわれており、美術史的には極めて重要な出来事でした。

左右で分かれている

クールベは写実主義者でしたが、その作品には象徴的な要素が含まれることも多くありました。

本作では、左側の人物たちは、「ありふれた人生という世界ー大衆、惨めさ、貧困、富、搾取される者、搾取する者、死を糧にする者」を象徴しています。

右側の人物たちは、「友人、労働者の仲間、芸術を愛する者」つまり「生を糧にする者」が描かれているとクールベ自身が解説しています。

クールベ

 

中心には、クールベが堂々と座って、筆を大きく動かすようなしぐさをしています。

実際には、このようにイーゼルに向かってぎこちない斜めの姿勢では描くのはかなり無理があるはず…。

しかし、クールベは、多数の自画像を残していることからもわかるように、非常に虚栄心が強かったので、この姿勢に決めて、特に見栄えがいいと思っていた横顔を誇示しました。

クールベの後ろに立っているヌードのモデルは、真実の化身であると考えられており、クールベに尊敬のまなざしを向ける少年も純真さを暗示しています。

クールベと同様に、少年は美術の慣習にとらわれず、世界を純粋な目で見ています。

ボードレール

 

クールベの友人たちの中に座っているのは、当時のフランスを代表する詩人で美術評論家のシャルル・ボードレールです。

ボードレールは1848年に、芸術家や知識人のたまり場ブラッスリー・アンドレールでクールベと出会いました。

この店にはクールベの仲間たちがよく集まっていたので、「写実主義の殿堂」という呼び名がつきました。

美術愛好家かコレクター

 

典型的な美術愛好家かコレクターではといわれています。

クールベは2人のことを「上品な身なりの上流階級の女性とその夫」だと言っています。

様々な説が持ち上がりましたが、2人が誰なのかはっきりとはわかっていません。

シャンフルーリ

 

シャンフルーリというペンネームで執筆していたジュール・ユッソンは、クールベの親しい友人で、文学における写実主義の提唱者でもありました。

クールベが《画家のアトリエ》についてわざわざ書いた解説は、もともとは1854年の終わり頃、シャンフルーリへの手紙に書かれたものでした。

当時、絵はまだ完成には程遠い状態にありました。

葬儀屋

 

この人物が誰なのかは様々な説がありますが、ジャーナリストのエミール・ド・ジラルダンを葬儀屋の姿で描いたのでは?といわれています。

ジラルダンは、皇帝ナポレオン3世を支持した主要人物でしたが、クールベはその政権を支持していませんでした。

密猟者

 

猟犬を連れて、椅子に腰かけている人物は、ナポレオン3世だと考えられています。

ナポレオン・ボナパルトの甥にあたる3世は、1848年にフランス大統領に選ばれ、1852年に皇帝の位につきました。

検閲があったため、ナポレオン3世の独裁政治を公然と批判するの難しかったため、クールベは、密猟者が獲物を仕留めるのと同じように、ナポレオン3世はフランス共和国を捕らえて食い物にしているとほのめかしています。

ナポレオン3世は1870年に、普仏戦争に大敗して失脚し、亡命先のイギリスで生涯を閉じました。