モネの睡蓮の池に日本風の橋があるのはなぜ?

こんにちは!

今回は、いよいよモネが自宅の庭に睡蓮の池をつくり始めます。

早速見ていきましょう!

モネと睡蓮の池

前回のおさらい

モネは「積みわら」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」と次々と連作を制作していきます。

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2022.08.29

睡蓮の池をつくり始める

クロード・モネ《ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池》1899年

モネ50歳のとき、ジヴェルニーの土地を購入し、家の周りに「花の庭」を造りました。

53歳のとき、ジヴェルニーの家に隣接する土地を購入すると、ここにセーヌ川支流のエプト川のさらに支流のリュー川の水を引いて睡蓮の咲く池を作り、「水の庭園」を作り始めました。

カイユボットの死と国への遺贈

クロード・モネ《昼食》1873年頃

54歳のとき、友人のカイユボットが世を去りました。

当時、依然としてアカデミーからの敵視は根強く、カイユボットが、マネ、ドガ、ピサロ、モネ、ルノワール、セザンヌなどの名品を含むコレクションをフランス政府に遺贈しましたが、アカデミーの反対に遭い、論争の的となりました。

上の絵もその1枚です。

アカデミズム絵画の権威ジェロームは、「ここには、モネ氏、ピサロ氏といった人々の作品は含まれていないでしょうか? 政府がこうしたごみのようなものを受け入れたとなれば、道義上ひどい汚点を残すことになるでしょうから」と述べました。

クロード・モネ《サン=ラザール駅》1877年

しかし、2年後にようやく、モネ作品8点を含め、コレクションの一部が国立のリュクサンブール美術館に収められました。

これによって印象派の公的な認知が進んだことがわかります。

セザンヌ、カサット、ロダンらがモネの誕生日を祝うため、ジヴェルニーを訪れました。

義理の息子に会いにノルウェーへ

クロード・モネ《ノルウェーのコルサース山》1895年

55歳のとき、義理の息子ジャックに会うためノルウェーに行き、約2ヶ月間滞在し、オスロ近郊のビョルネゴールに滞在し、コルサース山を13作描きました。

デュラン=リュエル画廊で開催された個展「モネ近作展」で『ルーアン大聖堂』連作20点を発表しました。

個展前モネは、デュラン=リュエルに『大聖堂』1点につき1万5,000フランを要求し、最終的に1万2,000フランで落ち着きました。

ここでは、ノルウェーの風景画8点も展示されました。

日本風の太鼓橋をつくってしまう

クロード・モネ《日本橋》1895年

ジヴェルニーの池に、歌川広重の「名所江戸百景亀戸天神境内」に似せたといわれる日本風の太鼓橋を建造しました。

次回はいよいよモネが睡蓮の絵を描き始めます!

続きはこちら↓

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