モネが睡蓮の絵を描き始めたのは50歳を過ぎてから?(モネの生涯23)

こんにちは!

今回は、モネがついに睡蓮を描き始めます。

早速見ていきましょう!

モネと睡蓮とロンドン旅行

前回のおさらい

モネは自分の庭の池に日本風の橋を建造しました。

モネの睡蓮の池に日本風の橋があるのはなぜ?(モネの生涯22)

2022.08.30

ノルマンディー旅行

クロード・モネ《ヴァランジュヴィルの税官吏小屋》1897年

56、57歳の冬は、ノルマンディー沿岸のプールヴィルとヴァランジュヴィルへ旅行し、断崖の上の小さな家を描いた10点ほどの作品を制作しました。

クロード・モネ《ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流》1897年

『セーヌ川の朝』の連作に着手しました。

ベルリン、モスクワ、サンクトペテルブルクなどで作品が紹介されました。

睡蓮を描く

クロード・モネ《睡蓮》1897‐1898年

57歳のとき、ジヴェルニーの敷地内に第2のアトリエを建設しました。

『睡蓮』を描き始めました。

水の庭は55歳頃から描き始め、58歳から大量に描くようになりました。

義娘と息子が結婚

クロード・モネ《ブランシュ・オシュデ》1880年

義娘ブランシュは、17歳の頃からモネの助手兼生徒となりました。

そして義娘シュザンヌのように、アメリカ人の画家と恋に落ちました。

バトラーの友人ジョン・レスリー・ブレックでした。

しかし、この2人の関係はモネに反対されて破局に至ってしまいます…。

結局ブランシュは、一緒に育ったモネの長男ジャンと結婚しました。

そして1913年(モネ73歳)に夫ジャンに先立たれると、ブランシュはジヴェルニーに戻り、1911年にアリスに先立たれていたモネの晩年の世話をしました。

早起き

クロード・モネ《セーヌ河の朝》1898年

58歳のとき、デュラン=リュエル画廊でピサロやルノワールとのグループ展を開催しました。

ジョルジュ・プティ画廊で開催された回顧展で、56、57歳のときに旅したときのノルマンディーの作品とジヴェルニーで制作した『セーヌ川の朝』の連作が展示されました。

ジヴェルニーでのモネは、夏は太陽が出るずっと前に起床し、セーヌ川支流の風景を描きにいくというのが日課でした。

早朝、物が色づき始める時間帯に、朝靄の効果をとらえた作品を続けて制作し、個展にこれらの作品17点を出品して、成功を収めました。

モネの師匠ブーダンが亡くなりました。

次回は、3年連続でロンドン旅行に出かけたモネの話についてです。

続きはこちら↓

モネの3年連続ロンドン旅行と連作(モネの生涯24)

2022.09.01

モネの生涯をノンストップ解説↓

モネの生涯を超解説!うつろう光を色彩で表現した画家の戦いとは?

2020.06.05