記念メダルの創始者ピサネロが描いた不吉な肖像画とは?

こんにちは!

今回は、記念メダルを初めて作った画家ピサネロについてです。

早速見ていきましょう!

ピサネロ (1395年頃-1455年頃)

《鶉の聖母》1420年頃

ピサネロは、国際ゴシック様式のイタリアの画家です。

記念メダルの作家でもありました。

ピサネロの面白いところは、かつてはピサネロの作品の多くが、別の画家の作と考えられていたところです。

レオナルド・ダ・ヴィンチやデューラーなどなど…。

ピサネロの絵画作品は、約10点ほどと、わずかしか残っていませんが、素描や記念メダルについては多数残っています。

なぜ不吉なものを少女の肖像画に入れたの

ピサネロ 《エステ家の公女》1435-1449年

ピサネロの代表作です。

目が死んでいる…

頭部と体のバランスが変なので、奇妙さを感じる作品です。

女性の周りを飛んでいる「死・魂」の象徴、コロバインの花言葉は「愚か」です。

描かれているのは、大人の女性というよりも、少女です。

少女の肖像画を描いたにしては、背景不吉すぎると思いませんか?

描かれている女性のモデルは正確には特定されていませんが、フェラーラのエステ家の公女ジネヴラ説が1番有力です。

彼女は、リミニの専制君主に嫁いだのですが、夫から不貞を疑われ、若くして毒殺されてしまいました…。

彼女の頭部何コレって感じですよね。

おでこ広すぎでは?と思うかもしれませんが、これがルネサンス期の流行りです。

わざわざ前髪を抜いているんです…!

広い額が良しとされた時代(丸いとさらに良し)で、その広い額に真珠や宝石を飾ることが流行っていたそう。流行ってこわいな…。

絵の中の彼女は装飾品を付けておらず、白い紐で髪をまとめています。

……白い紐気になるな…

髪型も、編み込みがあったりと凝ったものが多いなか、なぜ彼女は、このカチッとした髪型なんでしょうか。

上半身も変にきゅっとなってて気になる…

記念メダルを最初に作った人

《チェチリア・ゴンザーガのメダル》1441年

皇帝のための記念メダルを制作したことから始まり、ピサネロは、記念メダル美術メダル創始者でもあります。

ピサネロが制作する前は、メダルは硬貨と同じ手法で鋳造されていましたが、彼は、ブロンズの浮き彫り像のようにメダルを鋳造しました。

画家と鋳型製造の技量やセンスが試される方法であえて作ったところに、ピサネロの自信を感じます。

初期の肖像画は、このようなコインを手本に、《エステ家の公女》のように横向きに描くのが主流でした。

まとめ

ピサネロは、国際ゴシックを代表する画家
・記念メダルの創始者