こんにちは!
今回は、ルノワールが描いた息子ジャンの絵を紹介します。
早速見ていきましょう!
ジャン・ルノワール(1894-1979年)
ルノワール53歳の時の子
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《椅子に座ったジャン・ルノワール(ビスケットを持った子供)》1895年
ルノワール53歳の時に、次男のジャンが生まれました。
映画監督に
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《ジャン・ルノワールの肖像》1895年
ジャンは後に高名な映画監督となり、アカデミー賞名誉賞やフランス政府のレジオンドヌール勲章などを受賞しています。
最初はなかなか売れず、ルノワールの絵を売って資金を調達していました。
ガブリエルとの強い絆
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《ガブリエルとジャン》1895年
ルノワールの妻アリーヌのいとこだったガブリエルは、ルノワール家の子守として働きました。
特にジャンとは強い絆で結ばれていました。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《ガブリエルとジャン》1895年
子供たちが成長し、ルノワール家を去ったガブリエルは、後にジャン立ち会いのもと裕福なアメリカ人画家と結婚しました。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《おもちゃで遊ぶ子供、ガブリエルと画家の息子ジャン》1895-1896年
ガブリエルはアメリカで生活し、ハリウッド郊外のビバリーヒルズで亡くなりますが、フランスで映画監督となったジャンもハリウッドに進出し、引退後、終焉の地に選んだのもビバリーヒルズでした。
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《ガブリエル、ジャンと少女》1895年頃
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《ジャン・ルノワールとガブリエル》1896年
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《ルノワールの家族の肖像》1896年
ルノワールは、パリにある邸宅の庭にいる家族を描きました。
中心にいる緑の帽子の女性がアリーヌです。
アリーヌの腕を握っているのは長男のピエール、白い服を着ているのは次男のジャン、ジャンを支えているのはメイドのガブリエルです。
女装の理由
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《ジャンの肖像》1897年
男の子なのにどうして女の子のように描かれているのかというと、当時はまだ、男児に女装させる風習があったからです。
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《ジャン・ルノワールの肖像(フープのある子供)》1898年
これは、男児の死亡率が高かったため、女の子として育てて死神から守ろうとしたという一種の魔除けのようなものです。
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《ジャン・ルノワール》1899年
それだけでなく、転倒や物などで頭をぶつけたときの保護のため、そして何よりも、ルノワールが長い髪型で絵を描くことを好んだためでした。
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《書き物をするジャン・ルノワール》1899年
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《縫い物をするジャン・ルノワール》1899-1900年
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《ジャン・ルノワール》1901年
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《絵を描いているジャン》1901年
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《白いピエロ (ジャン・ルノワール)》1901-1902年
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《4つの頭部(ジャン・ルノワール)》1905-1906年
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《ジャン・ルノワールの肖像》1910年
戦争での怪我
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《狩人としてのジャン》1910年
この絵から4年後、第一次世界大戦が勃発し、騎兵隊として従軍したジャンは、足を負傷してしまいます。
後遺症が残り、足を引きずっての生活になりましたが、療養中に見ていた映画がきっかけで、後に映画監督となりました。
戦後、すぐに映画監督を目指したわけではなく、最初はルノワールに勧められて陶芸を制作していましたが、すぐに辞めて映画を作り始めました。
ルノワールの絵を映像化
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン ・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》1876年
ジャンが監督の映画『恋多き女』では、ルノワールの有名な上の絵を映画の中で再現しています。
詳細はこちら↓
先妻 カトリーヌ・エスラン(1900-1979年)
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《バラの金髪の少女》1915~1917年
女優カトリーヌ・エスランは、ジャンの最初の妻で、ルノワール最晩年のモデルで、「デデ」という愛称で呼ばれていました。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《浴女たち》1818-1819年
ジャンが映画監督になったのも女優になりたかったカトリーヌの希望を叶えるためでした。
カトリーヌはジャンが監督の映画『女優ナナ』の主演を演じていますが、この話の原作は印象派を支持していたゾラが書いた小説で、マネも「ナナ」の絵を残しています。