シダネルを超解説!神秘的な雰囲気の印象派絵画

こんにちは!

今回は、シダネルについてです。

早速見ていきましょう!

アンリ・ル・シダネル(1862-1939年)

マリー・デュエム《アンリ・ル・シダネル》

アンリ・ル・シダネルは、フランスの画家です。

シダネルは、象徴主義寄りの印象派で、「最後の印象派」と呼ばれる世代の中心的存在でした。

絵の道へ

インド洋モーリシャス島ポートルイスで生まれました。

8歳のとき、家族でダンケルクに移りました。

父親は18歳のときに事故で亡くなってしまいますが、両親は、シダネルが絵を描くことを応援し、支援しました。

カバネルが師匠だけど…

アンリ・ル・シダネル《孤児の散歩、ベルク》1888年

20歳のとき、パリのエコール・デ・ボザールに入学し、カバネルのアトリエで学びました。

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2021.08.07

↑のヴィーナスの絵を見てもわかるように、カバネルの絵と、シダネルの絵は全く系統が違います…。

1年程従軍したのち、再びカバネルの下で学びましたが、方向性の違いから彼の元を離れました。

アンリ・ル・シダネル《砂丘、エタプル》1888年

印象派や新印象派、写実主義、象徴主義の影響を受けながらも独自の作風を確立していきます。

様々な都市へ

アンリ・ル・シダネル《花瓶》1894年

32歳のとき、サロンに初出品し、その後38歳のときのパリ万国博覧会にも出品しました。

アンリ・ル・シダネル《トラファルガー広場、ロンドン》1908年

シダネルは生涯を通して、フランス国内の様々な都市のみならず、ロンドンやニューヨーク、ヴェネツィア等へも旅をしたり移り住んだりしました。

アンリ・ル・シダネル《風景の中で読書する女性》1898年

36歳のとき、22歳のカミーユと出会い、駆け落ちし、結婚しました。

モネの庭に負けない規模のバラ園をつくる

アンリ・ル・シダネル《白いテーブル、ジェルブロワ》1920年

特にパリ北方の小さな村ジェルブロワを愛し、39歳のとき、中世の面影が残るがジェルブロワに移り住みました。

アンリ・ル・シダネル《庭へ続く扉、コンソールテーブル》1924年

アンリ・ル・シダネル《黄昏の古路》1929年

上の絵は、ジェルブロワの夕方が描かれています。

人物はどこにも描かれていませんが、人の気配を感じさせるこの手法がシダネルの特徴です。

アンリ・ル・シダネル《デザート》1904年

アンリ・ル・シダネル《バラ》1934年

当時のジェルブロワは過去の宗教戦争の影響で荒れていましたが、シダネルは自宅の庭を、ジヴェルニーのモネの庭園に匹敵するような(モネは自分で睡蓮の池などをつくっています)、壮大な薔薇園にしました。

アンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、テラスの食卓》1930年

さらには村全体を薔薇で埋め尽くすことを村の人々に提案しました。

アンリ・ル・シダネル《日曜日》1898年

村の人々はシダネルに共感し、季節になると薔薇が咲き乱れるようになったジェルブロワは現在「フランスの最も美しい村」の1つに選ばれています。

アンリ・ル・シダネル《夕暮の小卓》1921年

アンリ・ル・シダネル《ヴィルフランシュ=シュル=メールの教会通り》1928年

アンリ・ル・シダネル《夕暮のシェルブールの広場》1934年

アンリ・ル・シダネル《窓の前の花束》1936年

終焉の地ヴェルサイユ

アンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユの彫像》1900年

シダネルはその後ヴェルサイユに移り住み、76歳のとき、第2次世界大戦勃発の数週間前にその地で亡くなりました。

まとめ

・シダネルは、身近なモノを描き続けた、「最後の印象派」のひとり