移ろいゆく光を描いたモネの連作『積みわら』を紹介!

こんにちは!

今回は、モネの連作『積みわら』についてです。

早速見ていきましょう!

積みわら

フランスのジヴェルニーの当時モネが住んでいた家の近くにあったがモデルです。

収穫後、畑に積まれた干し草の山を描いています。

フランス人画商ダニエル・ウィルデンシュタインが作成した印象派絵画目録『ウィルデンシュタイン作品番号』に記載されている25点(1266〜1290番)を連作としていますが、その他にも積みわらを描いた作品は存在しています。

なぜ積みわらを描いたの?

モネは、光や色への強い興味を持っていました。

「積みわら」は、円すいと円柱を組み合わせたシンプルな形なので、光による陰影が描きやすかったのでしょう。

また、フランスの豊かな国土の象徴としてこのモチーフを選んだのかもしれません。

たくさんのキャンバスを持っていく

モネは、散歩中に見つけた積みわらに興味を持ち、一緒に散歩していた義娘のブランシュに「2枚のキャンバスを持ってきてほしい」と頼みます。

晴れと曇り用で2枚で十分だろう、と考えました。

しかし、いざ積みわらと向き合うと、「天気どころか、一日の中でも見え方が変わる…季節が変わればもっと変わる…!」ということに気付きます。

アシスタントに手押し車に積めるだけのキャンバスを運ばせ、時間帯によって描くキャンバスを交換し、描き続けました。

浮世絵の影響

モネは浮世絵にとても興味がありました。

《積みわら – 日没》1890‐1891年

葛飾北斎《富嶽三十六景 凱風快晴》1831‐1833年

北斎の、同じ富士山を描いているけど、時間帯によって、富士山が赤く見えたり、青く見えたりするっていう発想に刺激を受け、自分の作品にも取り入れています。

1888‐1889年の作品

25点の連作より前に描かれた作品です。

これらの作品も含めて『積みわら』の連作と考える場合もあります。

1888年、モネは48歳でした。

《ジヴェルニーの積みわら、日没》1888‐1889年

《ジヴェルニーの積みわら、朝の効果》1889年

《積みわら – 白い霜の効果》1889年

《ジヴェルニーの積みわら》1888‐1889年

1890‐1891年の作品

25点全てお見せします!!

と言えないのは、一部プライベートコレクションなのでネット上で画像が見つけられないものもありました…。

22点どうぞ!

また、この期間に描かれたのは、干し草を積んだ積みわらではなく、正確には脱穀する前の刈り穂を積み上げた刈り穂積みです。

《積みわら、夏の終わり》1891年

《積みわら、晴天》1891年

《積みわら – 晴天、朝の効果》1890年

《積みわら – 夏の終わり》1890‐1891年

《積みわら ‐ 一日の終り、秋》1891年

《積みわら – 午後》1890‐1891年

《積みわら》1891年

《積みわら、雪の影響》1891年

《積みわら – 午前中、雪の影響》1891年

《積みわら – 雪の効果》1891年

《積みわら – 日没、雪の効果》1890年

《積みわら、冬の効果》1891年

《積みわら – 朝、雪の効果》1891年

《積みわら – 雪の効果、曇天》1890年

《積みわら – 日没、冬》1891年

《積みわら》1890年

《積みわら – 雪融け、日没》1890年

《積みわら》1891年

《積みわら – 霧の太陽》1891年

《積みわら – 晴天》1891年

《積みわら – 日没》1890‐1891年

《積みわら – 日光》1891年

モネの言葉

モネは、1890年10月、友人ジェフロワに、次のように書いています。

「積みわらのさまざまな光の連作に夢中なのですが、近頃は日が早く沈むので、追いつくことができません。しかし描き進めるに従って、私が求めているもの――「瞬間性」、とりわけ物を取り囲む大気と、至るところに輝く均一な光――を表現するためには、もっと努力しなければいけないことが分かるのです。」

経済的にも成功

1891年、画商ポール・デュラン=リュエルによって展覧会が開催され、そこで初披露された『積みわら』の連作全15点は、数日のうちにすべての作品が売れ、大成功でした。

展覧会開催前に、ポール・デュラン=リュエルが8点購入、モネ自身がすでに売却することが決まっていた絵が2点あったので、実質5点が展覧会で、最大1,000フランで売れています。

この『積みわら』の連作は、後に抽象絵画の巨匠となるカンディンスキーに大きな影響を与えたことでも知られています。

この後、モネの絵の価格は急激に上がり始め、貧乏生活から開放され、自宅の庭に睡蓮の池を作る余裕ができ、そして『睡蓮』を描くようになります。