マグリットのヴァッシュの時代の絵を紹介!グロテスクならしくない絵たち

こんにちは!

今回は、マグリットのヴァッシュ時代の絵を紹介します。

早速見ていきましょう!

ヴァッシュの時代

ルネ・マグリット《絵の内容》1947年

49歳のとき、「ヴァッシュ(雌牛)」の時代と呼ばれる、フォーヴィスム風の作品を制作し始めました。

なぜこんなマグリットらしくない絵を描いたのかというと…

怒りにまかせて

ルネ・マグリット《牽引プラグ》1947年

「陽光に満ちたシュルレアリスム」をめぐるブルトンとの諍い(前回参照)は、1947年のシュルレアリスム国際展へのマグリットの招待が取り下げられるという事態にまで発展しました。

そのためマグリットは、皮肉にもパリでの初個展となった翌48年のフォーブール画廊での個展を、ブルトンを中心とするパリのシュルレアリストたちに対する復讐の機会ととらえていました。

マグリットは、わずか5週間で17点の油彩と10点ほどのグワッシュを描き上げました。

それらは、マグリットの本来の様式とは似ても似つかないもので、激しく粗い筆触とけばけばしく鮮やかな色彩、漫画やカリカチュアを引用した人物像を特徴とする、 表現主義的な絵画でした。

マグリットはそれ を、フォーヴ(野獣)をもじって「ヴァッシュ(雌牛)」と呼びました。

1点も売れないし妻も嫌がる

ルネ・マグリット《凱旋行進曲》1947年

粗野で挑発的な作品によって、パリの連中にひと泡吹かせてやるのが目的でした。

狙い通りというべきか、展覧会はブルトン一派の激しい批判を浴び、作品は一点も売れませんでした。

しかし世間からも妻ジョルジェットから不評で、1年間ほどで従来の画風に戻り、1980年代に至るまで、この時期の作品が顧みられることはありませんでした。

贋作制作&偽装通貨

ルネ・マグリット《昆虫の生活》1947年

この間、マグリットはニセのピカソ、ブラック、デ・キリコの絵を描いて生計を立てていました。

後に偽造紙幣も作っています…。

ルネ・マグリット《省略》1948年

イギリスの現代アーティスト、ギャビン・タークが、上の絵や下の絵などのキャラクターをブロンズで立体化した作品をいくつか制作しています。

出典:Gavin Turk『Oscar』

出典:Gavin Turk『Oscar』

出典:Gavin Turk『Oscar Ⅱ』

出典:Gavin Turk『Oscar III』

 

ルネ・マグリット《ストロピア》1948年

ストロピアは不具者(身体の一部に障害がある人)という意味です。

一方で不具を装って物乞いをする「偽不具者」を意味する言葉でもあります。

出典:Gavin Turk『CRIPPLE I』

出典:Gavin Turk『CRIPPLE』

 

ルネ・マグリット《ポンポポンポポンポンポンポン》1948年

ルネ・マグリット《飢餓》1948年

ルネ・マグリット《ティタニア》1948年

ティタニアは、シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』に登場する、オーベロンの妃である妖精の女王の名前です。

ルネ・マグリット《教皇の犯罪》1948年

ルネ・マグリット《生きる術》1948年

ルネ・マグリット《魅力的な王子》1948年

ルネ・マグリット《心理学者》1948年

ルネ・マグリット《心理学者》1948年

ルネ・マグリット《方法と手段》1948年

ルネ・マグリット《方法と手段》1948年

ルネ・マグリット《ジャン・マリー》1948年

ルネ・マグリット《中継地点》1948年

ルネ・マグリット《マーク》1948年

ルネ・マグリット《石》1948年

ルネ・マグリット《石》1948年

ルネ・マグリット《喜びの深さ》1948年

ルネ・マグリット《バレンシア出身のローラ》1948年