フェルメール「士官と笑う娘」を超解説!2人の男女の関係性とは?

こんにちは!

今回は、フェルメールの《士官と笑う娘》についてです。

早速見ていきましょう!

士官と笑う娘

ヨハネス・フェルメール《士官と笑う娘》1657-1659年頃

フェルメール作品の特徴である窓辺の人物、光の表現、絵のサイズなどがそろった最初期の作品とされています。

また、フェルメールが制作にカメラ・オブスクラを使っていたという仮説が出たきっかけの作品でもあります。

粋な士官とおしゃれをした若い女性が窓辺でおしゃべりをしています。

2人は構図と光によって対照的に描かれています。

士官

 

男性は、壁やテーブルクロスの明るさに対してシルエットのようになっています。

男性は背面を向けているため、表情と左手の様子はほとんど見えませんが、女性の表情から、男性も会話を楽しんでいるのだろうと推測できます。

鑑賞者は男性の肩越しに観るような構図になっています。

赤い上着

男性の真紅のジャケットは兵士が着用したもので、特にデルフトの民兵の将校のものでした。

フェルメール自身も射手の地位にいたことから、社会的地位のある民兵としてこの絵のような服や帽子を持っていた可能性があります。

フェルメールの《取り持ち女》にも似たような赤い上着を着た男が登場しています。

流行のおしゃれ帽子

 

縁取りの付いたビーバーハットをかぶっていることから、彼が裕福だということがわかります。

当時、フェルト製の帽子はステイタス・シンボルでした。

その中でも、北米から輸入された高価なビーバーの毛皮製と安価な羊毛製がありました。

羊毛のフェルト帽子はクラップマッツと呼ばれ、縁がたれ下がる形なので、男性の帽子はビーバー製だと分かります。

この時代、ヨーロッパではビーバーが乱獲により絶滅していたため、この帽子を作るのに使われた毛皮はおそらくカナダやシベリアから持ち込まれたものだと考えられています。

 

フェルト帽子にリボンを巻いたり飾りをつけることも流行っていました。

ちなみにフェルメールの親族に、ディルク・ファン・デル・ミンネという名のフェルト職人兼帽子職人がいたそう。

家の中で男性が帽子を脱ぐ習慣がまだ定着していない時代だったため、この絵の男性はかぶったままでいます。

当時、帽子を脱ぐのは、祈祷の時、初めて食事をもてなす時、健康を祈って乾杯する時などに限られていました。

黒い幅広帯

 

斜めがけの黒い幅広の帯は弾帯と呼ばれるもので、弾薬を身に付けるために使われました。

 

シルエットになった彼の顔の特徴はほとんどわかりませんが、その姿勢からはみなぎる自信が感じられます。

若い娘

 

全体を穏やかに照らす光が、開いた窓を通して部屋の中に差し込み若い女性の優しい表情を照らし出しています。

女性は笑顔を浮かべて開放的な雰囲気があり、白い頭巾と黄色いドレスも明るさを強調しています。

笑顔の意味

 

当時は歯を見せる笑顔は愚かさや罪深さを暗示し、娼婦に多く見られる表現でしたが、本作にはその種の教訓的意味はあまりなさそうです。

モデルは妻?

女性のモデルは、フェルメールの妻カタリーナでは?ともいわれていますが、正確にはわかっていません。

カタリーナは、《窓辺で手紙を読む女》《天秤を持つ女》など他のフェルメール作品でもモデルになっているのでは?と考える専門家もいます。

4つの作品に登場する黄色い服

 

女性が着ている黄色の絹のガウンは、《窓辺で手紙を読む女》《音楽の稽古》《合奏》にも登場しています。

 

テーブルの下が暗くてわかりにくいのですが、彼女は青いエプロンを身に付けています。

青色のエプロンは、家事で汚れが目立たないとして当時よく使われていました。

おそらく女性は家事をしており、そこに男性が訪問して会話が始まったのでしょう。

かつては男女が2人きりになることはなかった

 

かつては交際しようとする男女が2人きりになることは許されていませんでした。

それまでのオランダ絵画で男女がワインを飲む場合は、娼家や宿屋を背景にしていました。

しかし、特に都市部では2人きりで会っておしゃべりすることが広まりつつありました。

それにより絵画で描かれる男女関係も変化し、娼家とは異なる家庭の室内における男女の駆け引きが登場するようになりました。

フェルメールも《取り持ち女》では娼家を題材にしていましたが、この作品では、新しい交際の形を描いています。

ワイングラスと手のしぐさ

 

この絵でも女性がワイングラスを持っていますが、2人がいるのは日常の家屋で、性的な要素はあからさまではありません。

しかし、女性の左手が手のひらを上にしたしぐさは、金銭を求めているようにも見えるために解釈に幅をもたらしています。

ワイングラス

アンナ・レーマーズ・ヴィッシャーによる彫刻《ベルケマイヤー》1646年

女性が手にしているのは白ワインが注がれたワイングラスで、グラスの形はドイツを中心に生産されていたベルケマイヤーに似ています。

グラスがやや緑色がかっているのもベルケマイヤーと同様で、酸化鉄が原因です。

この種のグラスのデザインは木製の杯をもとにしたと言われていて、まだフォークが普及する前の食事で指が滑らないように考慮されていました。

ワインはビールより高価なため洗練さを象徴しており、グラスを持つ女性の手つきも当時の作法によれば上品な形になっています。

ベルケマイヤーをもとに作られたとされるレーマーは、17世紀から18世紀のオランダの絵画で多く描かれました。

他の作品にも登場するライオンの椅子

 

2人が腰かけている椅子の背もたれにはライオンの頭部が彫刻されています。

これはスペイン椅子と呼ばれる木製の椅子で、フェルメールの作品にたびたび登場します。

 

装飾がスペイン風であるためこの名で呼ばれていましたが、ヨーロッパ各地で生産されていました。

フェルメールはライオンの頭部の点描でも差し込む光を表現しています。

特別な緑色

 

緑色のテーブルクロスが、士官の上着の赤色と対照をなしています。

当時は緑色の顔料が一般的ではなく、黄色と青色を混ぜて作られていました。

フェルメールは鉛錫黄を他の作品でも用いているため、黄色は鉛錫黄だった可能性があります。

緑色は《窓辺で手紙を読む女》のカーテンなどにも見られます。

壁に地図が描かれた最初の作品

地図はインテリア

フェルメールはこの絵以降、たびたび壁に地図を描いています。

17世紀のオランダは、海洋貿易で黄金期を迎えていました。

地理学も発達し、最新の地図が製作されるようになりました。

オランダの一般家庭でも、地図をインテリアとして飾る習慣がありました。

実際に存在する地図

壁にかけられた地図は、1620年にデルフトの地図製作者バルサタール・ファン・ベルケンローデが作図し、その2、3年後に大手地図業者のウィレム・ヤンスゾーン・ブラウが出版した、オランダと西フリースラントの地図です。

この地図は、オランダの独立戦争にあたる八十年戦争を称えるために製作された。

スペインはヨーロッパ有数の強国でもあったため、勝利を誇るオランダ人は多かったそう。

この地図は、祖国や領土を守るという兵士の義務を暗示しているようにも見えますが、女性の上に配置されているため、征服の対象としてこの女性を描いていると受け取ることもできます

地図がこの絵で担っている意味については、さまざまな解釈があります。

海が茶色、陸が青の理由

 

地図の配色は海が茶色、陸が青という反対の配色になっており、戦争が過去のものとなった点と、この絵に登場するような軍人の権威低下を象徴するという解釈もあります。

世俗世界の象徴

また、地図は世俗世界を表しているので、男女の談笑という題材にも合っている。

初期のオランダ絵画では、地図は女性の俗っぽさを表すための小道具としても用いられた

他方で、地図は軍事的に重要なものであり、2人の恋愛を戦闘にたとえているという説もある。

また、地図を描くことによって、壁の白さを強調し、明暗のコントラストを際立たせています。

他の作品にも登場

ヨハネス・フェルメール《青衣の女》1663年

この地図は《青衣の女》にも、色と大きさを変えて登場しています。

他にも《リュートを調弦する女》《水差しを持つ女》《絵画芸術》にも地図が描かれています。

《真珠の首飾りの女》も、一度描いた地図を塗りつぶしていることがわかっています。

また《天文学者》《地理学者》《信仰の寓意》では、地球儀が登場しています。

光を厚塗りで表現

 

光は彼女がそっと握るワイングラスにも反射し、シルク製の黄色い胴着をキラキラと光らせ、彼女が腰掛ける椅子の装飾に金色の輝きを浮かび上がらせています。

 

フェルメールは、塗りの厚さを調節することでさまざまな光を表現しており、暗部は薄く塗られ、ハイライトの部分は濃い色を重ねて描かれています。

本作はフェルメールが様式を確立する過渡期にありながらも、光の表現、厚塗りの処理など、彼の特徴が見られます。

特に光を厚塗りで表現する方法は、フェルメールの1650年代末までの彩色法に顕著でした。

1660年代からは厚塗りを使う箇所が減り、食器、果物、ワイン差し、袖などの限られた場所だけになっていきました。

のちの作品では、人物の見かけが大きく異なるように描くことはなくなりますが、左側の窓、奥の壁との並行などの要素は引き継がれていきました。

デ・ホーホの作品との類似点

ピーテル・デ・ホーホ《カード遊びをする2人の兵士とパイプを詰める女》1657-1658年頃

本作は当初、室内をテーマとした作品がフェルメールの作風とよく似ていると言われる画家、ピーテル・デ・ ホーホの偽のサインがが記されていました。

デ・ホーホは、フェルメールと同時期にデルフトで活躍した画家で、この 2人の芸術家がお互いを知っていた可能性は高いと考えられています。

デ・ホーホが人物や事物を多く描いてにぎやかな空間を表現したのに対して、フェルメールはより静かな空間を描きました。

デ・ホーホとフェルメールは扱う題材が似ているため、この作品に限らず、フェルメール作品がデ・ホーホ作品と間違えられることもありました。

よくある風俗画ではなかった

ヘラルト・ファン・ホントホルスト《取り持ち女》1625年

当時のオランダの風俗画では、兵士が女性に言い寄ったり酒杯を交わす場面がよく描かれていました。

同時代の風俗画家であるデ・ホーホやヘラルト・テル・ボルフ、フランス・ファン・ミーリスたちは、絵で男女関係や教訓の意味を示すために、リュート、コイン、喫煙、犬などを描き込みました。

しかしフェルメールは、本作品でそれらを描いていません。

フェルメールは描くものを減らして簡略化するとともに、教訓的意味を希薄にし、独自の風俗画を表現しました。

そのため、同じく男女とワインを描いた《紳士とワインを飲む女》や《二人の紳士と女》と比べても日常性が強調されています。

鑑賞者を誘導する要素が少ないため、2人の関係があやふやなままです。

同様の傾向は《眠る女》《音楽の稽古》《合奏》にも見られます。

線遠近法

フェルメールがカメラ・オブスクラを使った可能性もありますが、この絵には線遠近法(透視図法)の法則が見られます。

閉じた窓枠の消失点は2人の目の中間にあり、2人の視線は消失点とほぼ同じ高さにそろえられています。

開いた窓や、男性が座る椅子の枠は、左側の消失点に集まるようになっています。

構図

 

本作はフェルメールにしては珍しく、人物が正面から向かい合う配置で描かれています。

女性の頭上にある地図の下端は男性の額へと達しており、2人の心理的な距離が近く見えるようになっています。

暗い士官の姿を左の前景に置き、女性よりも大きく描くことで、空間的な奥行きを表現しています。

前景の半分近くを占める男性の大きさは、広角レンズや凸面鏡から見た光学効果に似ています。

そのため、本作は、フェルメールが光学装置を用いて制作したという説のきっかけとなった作品でした。

カメラ・オブスクラを使っていた説

フェルメールが制作に光学機器を用いたかという問題は19世紀から論争が続いており、そのきっかけが本作でした。

他の画家が使っていたから

とある画家が1755年にカメラ・オブスクラ(ピンホール式の投影機)を制作に使ったという記録をもとに、フェルメールも同じ機器を使った可能性があると言われはじめました。

顕微鏡の発明者と仲良しだったから

顕微鏡の発明者であるアントニ・ファン・レーウェンフックがフェルメールと近しい関係にあった点を根拠として、カメラ・オブスクラを使用していたのではといわれています。

絵の構図がそうだから

絵の構図から、カメラ・オブスクラで見た像を正確に写しとって描いていると主張する専門家もいま

絵の中に描かれる物体の反射面にも表れる、特定の光の効果や遠近法などがそれを証明しているとのこと。

使ったとしても大型だ

仮にカメラ・オブスクラを使ったとしても、当時は長焦点で画角の狭いものが多かったため、大型のものを使ったはずだという説もあります。

カメラ・オブスクラは使っていない説

カメラ・オブスクラ風に描いただけ

カメラ・オブスクラの像をヒントにして、その特徴を利用しただけだという説もあります。

カメラ・オブスクラではなくて透視法だ

フェルメールの作品は、当時の透視法が厳格に適用されており、カメラ・オブスクラの像を正確に写した空間ではないともいわれています。

財産目録に載っていない

フェルメールの没後の財産目録にカメラ・オブスクラはありませんでした。

蔵書はあったため、その中に透視法の理論書が含まれていた可能性はあります。

なのでカメラ・オブスクラではなくて、透視法だという説もあります。

フェルメールがカメラ・オブスクラを使っていたかどうかはさておき、彼の作品の画面構成には、幾何学的な特徴がその根底にしばしば表れています。