こんにちは!
今回は、フレデリック・チャイルド・ハッサムについて解説します。
早速見ていきましょう!
目次
フレデリック・チャイルド・ハッサム(1859-1935年)
フレデリック・チャイルド・ハッサムは、アメリカの印象派画家で、その明るく生き生きとした風景画や都市風景で知られています。
彼は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍し、アメリカ印象派の代表的な画家の一人として、国内外で高い評価を受けました。
フリーのイラストレーター
ハッサムはマサチューセッツ州ボストンで生まれました。
若い頃から美術に興味を持ち、ボストンの美術学校で学んだ後、フリーのイラストーターになり、雑誌の挿絵画家としてキャリアをスタートさせました。
ボストンの画家、版画家のリマーに絵画を習いました。19歳のとき、ボストン美術クラブの夜間コースやローウェル協会で学びました。
ボストンやその郊外の風景画を描き、23歳のときには50点の水彩画を展示した個展を開きました。
ヨーロッパ旅行とターナーとの出会い
24歳の夏、初めてヨーロッパに渡り、イタリア、フランス、オランダ、スペイン、イギリスを旅しました。
イギリスの画家、ウィリアム・ターナーの水彩画に強い影響を受けました。
25歳のとき、ヨーロッパの風景を描いた67点の水彩画をボストンで展示しました。
この年1884年に結婚しました。
フランス印象派の絵に感化されて
27歳のとき、ニューヨークで開かれたフランス印象派の展覧会を見て影響を受け、その年、さらなる芸術的な成長を求めてヨーロッパに渡り、パリのアカデミー・ジュリアンに入学しました。
ギュスターヴ・ブーランジェやジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学びました。
フレデリック・チャイルド・ハッサム《花摘み、フランス式庭園にて》1888年
この時期に彼は、光と色彩を用いて瞬間的な印象を捉える印象派の技法を学び、自身の作品に取り入れ始めます。
ボストンで出版された書籍の挿絵の報酬や、作品を競売した資金でパリで3年間学びました。
30歳のとき、1889年のサロン・ド・パリに出展し、1889年のパリ万国博覧会の展覧会に参加し入選しました。
帰国後人気画家に
30歳でアメリカに帰国しニューヨークに住みました。
ハッサムがアメリカに戻った後、彼の作品は急速に知名度を集め、特にニューヨークの風景や、彼が愛したニューイングランドの海岸線や田園風景を描いた作品が人気を博しました。
ホワイトハウスの大統領執務室に飾ってある絵
彼の代表作には、「フラッグシリーズ」があります。
これは第一次世界大戦中に描かれた一連の作品で、アメリカの愛国心と戦時下のニューヨークの街並みを色鮮やかに描いています。
上の絵は、代々ホワイトハウスに飾られている絵です。現在(2024年2月)の大統領バイデンの大統領執務室に飾られています。
ハッサムの作品は、繊細な色使いと光の効果によって、風景の美しさと一瞬の雰囲気を捉えることに成功しています。
アメリカの印象派
38歳のとき、ジョン・ヘンリー・トワックトマンやジュリアン・オールデン・ウィアーとともに米国芸術家協会を抜け、「テン・アメリカン・ペインターズ」を結成しました。
ハッサムはアメリカにおける印象派の代表的画家となりました。
彼は、日常的な風景を題材にしながらも、その中に詩的な美を見出し、観る者に新鮮な感動を与える作品を多数残しました。
ハッサムは75歳でこの世を去りました。
彼の作品は、今日でも多くの美術館で展示され、彼の芸術的な遺産は後世に大きな影響を与え続けています。