ピカソの代表作が多く生まれた時期の愛人ドラ・マールについて解説!

こんにちは!

今回は、ピカソの代表作が多く生まれた時期に愛人だったドラ・マールについてです。

早速見ていきましょう!

ドラ・マール(1907-1997年)

 

ドラ・マールは、フランスの写真家で画家、そしてピカソ愛人でした(約9年間)。

父親の建築の仕事の関係でアルゼンチンで育ったため、ピカソの母国語であるスペイン語を話すことができました。

20歳くらいのときにパリに出て、マン・レイの影響を受けて写真家になります。

有名な作家ジョルジュ・バタイユの愛人だったこともありました。

ドラが29歳、ピカソ55歳のとき、2人はパリにあるパフェ「ドゥ・マゴ」(現在も営業中)で出会います。

ドラはナイフゲーム(テーブルの上に手を広げてナイフで指の間を順番に突く遊び)をしていました。

あまりにも素早く動かしたため、ナイフが当たって血が流れていましたが、それでもまだ続けていました。下手なの…?

ピカソはそんな気性の荒いドラに惹かれ(?)、アトリエのショーケースにドラの血まみれの手袋を飾っていました。

どっちも怖いな…。

ピカソが《ゲルニカ》を制作したときには、約1か月その制作過程を撮影しました。

パブロ・ピカソ《泣く女》1937年

《ゲルニカ》完成後に制作した《泣く女》のモデルでもありました。

写真家として活動していたドラでしたが、ピカソに勧められて画家に転身しています。

主にキュビスム風の肖像画家や静物画を描きました。

ピカソに新たな恋人ができたこともあり、ドラは精神を病んでいき、40歳のとき、精神病院に入院します。

ピカソからの援助もありましたが、ピカソが自分から心が離れていってしまったことが相当ショックだったようで、以前のような元気さを取り戻すことはありませんでした。

その後は、細々と絵を描きつつ、89歳で亡くなっています。

ドラを描いた作品

ドラがモデルの作品は多数あります。

その中から一部を紹介します。

《ドラ・マールの肖像》1937年

《ドラ・マールの肖像》1937年

《ドラ・マールの肖像》1937年

《ドラ・マールの肖像》1937年

《ドラ・マールの肖像 Ⅰ》1937年

《ドラ・マールの肖像 Ⅱ》1937年

《ネックレスをしたドラ・マール》1937年

《ネックレスをしたドラ・マール》1937年

《座っているドラ・マール》1938年

《座っている女:ドラ・マール》1939年

《女性の頭部n°4 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭部n°4 ドラ・マールの肖像》1939年

《座っている女:ドラ・マール》1939年

《座っている女:ドラ・マール》1939年

《女性の頭n°1 ドラ・マールの肖像》

《女性の頭n°7 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°5 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°6 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°3 ドラ・マールの肖像》1939年

《女性の頭n°2 ドラ・マールの肖像》1939年

《ドラ・マール》1941年