ピカソ「ゲルニカ」はどんな絵?超解説!

こんにちは!

今回は、ピカソの代表作《ゲルニカ》を解説します。

早速見ていきましょう!

ゲルニカ

パブロ・ピカソ《ゲルニカ》1937年

ゲルニカとは?

1937年、スペイン・バスク地方の古都ゲルニカで、ナチスドイツ軍による無差別爆撃により、1600人以上の人々が亡くなるという事件がありました。

この事件に衝撃を受けたピカソは、共和政府から依頼されていたパリ万博スペイン館の壁画に、ゲルニカ爆撃を描くことに決めました。(ピカソは共和政府支持者でした)

45枚の習作を描き、約1ヶ月間という驚異のスピードで完成させた作品です。

反戦の意を込めて

爆撃の様子をリアルに描くのではなく、様々な角度から見た姿を画面にまとめて描くキュビズムや、現実を超越したシュルレアリスムなどの手法で描いています。

これによって、ゲルニカ爆撃だけでなく、戦争の悲劇さを人々に訴えています。

画面の説明

落ちる女

 

ピカソ自身、またはイエス・キリストの象徴だといわれています。

灯火を持つ女

 

ろうそくや灯火は「真理」を象徴するモチーフです。

駆け寄る女

 

彼女は、画面左にいる子の屍を抱く女を慰めようとする何かだと考えられています。

共和国政府を支援した唯一の国、ソビエト連邦の隠喩とも考えられています。

 

瀕死の馬は、爆撃の犠牲者や、スペイン共和国政府を表しているといわれています。

死んだ兵士

 

ファシズムの犠牲者、またはスペイン市民の代表と考えられています。

電球

 

内部に電球が描かれた光源は、神の目、つまり全てを明るみに出す証人を表していると考えられています。

 

机の上にいる鳥は、精霊平和の象徴だと考えられています。

牡牛(ミノタウロス)

 

ギリシャ神話の怪物ミノタウロスは、暴力、好色、平和など、様々な象徴であり、善悪どちらにも解釈することができます。

ピカソは大の闘牛好きで、ミノタウロスを集中的に描いていた時期もありました。

そのことから、ミノタウロスをスペインの象徴とする解釈もあります。

子の屍を抱いて泣く女

 

彼女は爆撃の被害者を表しており、子の屍を抱く女は、ピエタ(磔刑で死んだキリストを抱く聖母マリア)を連想させます。

彼女は号泣していますが、が描かれていません。

なぜかというと、無い方がかえって悲劇が感じられるとピカソが判断したからです。

この女性のモデルは、ピカソをめぐって泣き叫びながら争った女性たちだといわれています。

泣く女

パブロ・ピカソ《泣く女》1937年

《ゲルニカ》制作時のピカソを、当時の恋人ドラ・マールが写真としておさめていました。

ちなみにこの時のピカソには、オルガという妻がいました。

ある日、アトリエにマリー(ドラの前の恋人でピカソの子を生んでいる)がやってきて修羅場に。

ドラとマリーは口論になり、掴み合いの喧嘩をはじめると、その様子を見ていたピカソは、

「俺が欲しければここで戦え!」と叫んだそう。(笑)

とはいいつつ、芸術家の性なのか、ののしり合い、泣き叫ぶ彼女たちを冷静に観察し、(ゲルニカ》の子の屍を抱く女として、作品に取り入れていました。

ピカソに限らず、モネも死んでいく妻の顔の色の変化に気を取られて、絵を描き続けたというエピソードがあったりするので、そういうところが巨匠たる所以なのかもしれません。

ちなみに《ゲルニカ》の完成直後に描いた《泣く女》のモデルもドラです。

ドラは気性が激しく、豪快によく泣き、ピカソを関心させたそう。

丸の内で見れる?

丸の内オアゾの1階に、ピカソ の遺族の承諾を得て制作された、セラミック製の複製が飾られています。

絵の目の前にイスとテーブルがあって、休憩スペースのようになっているので、たまに待ち合わせ場所として使ったりします。

三菱一号間美術館へ行く際は、是非立ち寄ってみてください!