ピカソの息子パウロの一生は散々だった?生涯を解説!

こんにちは!

今回は、ピカソの息子パウロについてです。

早速見ていきましょう!

パウロ・ピカソ(1921-1975年)

《アルルカンに扮したパウロ》1924年

複雑な人生

パウロ・ピカソは、ピカソと最初の妻オルガの息子です。

ピカソも最初の頃は、初めての子供だったパウロを可愛がり、絵に描きました。

しかし妻のオルガとの関係悪化、そしてマリーとの不倫によって、オルガとパウロは家を出ていきます。

パウロは後にピカソのドライバーになりましたが、ピカソは実の息子なのに(だから?)低賃金で働かせ、オルガにも少ししかお金を渡していなかったため、2人は生活に困窮します…。

さらにピカソは、息子パウロのことを「バカ」呼ばわりしていました…。

パウロは息子なのに、ピカソの別荘に入ることも、ピカソの仕事中に会うことさえ許可されていませんでした。

そんな不安定な生活を強いられ、アルコール依存症に苦しみつつも、唯一の収入源であるピカソから逃げることもできず、54歳のとき、肝臓癌で亡くなりました。

パウロの絵は売りたがらなかった

《花束を持つピエロに扮したパウロ》1923年

パウロが8歳のとき、ドアで指を挟んで怪我をしてしまいます。

そのときに治療してくれた医者が、上の絵を欲しがりました。

ピカソはたくさんの絵を描きましたが、我が子の絵だけは手放したがりませんでした。

しかし恩人の頼みということで、感謝の印にこの絵を譲りました。

《花束を持つピエロに扮したパウロ》1929年

そして、似た絵を描き、自分の手元に残しました。

それが上の絵で、現在はポーラ美術館で見ることができます。

《絵を描くパウロ》1923年

《ピエロに扮するパウロ》1925年

《パウロの肖像》1925年

《パウロの肖像》1925年