こんにちは!
今回は、ゴッホが描いたゴーギャンとゴッホの椅子を解説します。
早速見ていきましょう!
目次
ゴッホとゴーギャンの椅子
フィンセント・ファン・ゴッホ《ゴーギャンの椅子》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ《ファン・ゴッホの椅子》1888年
一見、何の変哲もない静物画のように見えますが、実際には、この作品はゴーギャンとの友情が崩壊し、ゴッホが神経衰弱に陥るわずか数週間前に描かれたものでした。
2つ並べて飾る前提で制作していたため、ゴーギャンの椅子は夜の光の中で赤と緑、ゴッホの椅子は昼間の光の中で黄色と青、のように色を対比させています。
ゴッホの自然主義と、想像力豊かなゴーギャンの神秘主義が比較されてもいます。
また、椅子を主役にペアで描かれた作品は、絵画史上、この作品のみです。
色だけではなく、モチーフも対比させているので、詳しい説明は後ほど…
その人の不在をイメージさせる「空の椅子」
この絵を描く以前の1885年に父親が亡くなった際、ゴッホは父親が座っていた空の椅子を見て泣いていると手紙に書いています。
また、匿名の人気曲「リトルチェア」の歌詞(暖炉のそばに座って、死んでしまった3人の子供たちが座っていた椅子を老夫婦が見ているという内容)を弟テオに書き送っていました。
ルーク・ファイルズ《空っぽの椅子》1870年
チャールズ・ディケンズの作品の挿絵を描いていたイギリスの画家ルーク・ファイルズは、ディケンズが亡くなったときに、彼のいない椅子だけを描き、追悼の念を表しました。
ルーク・ファイルズ《空っぽの椅子》1870年
これは、ディケンズの未完の最後の作品「エドウィンドルードの謎」の挿絵でした。
ゴッホはこの有名な絵に影響を受け、肖像画の代理として「空の椅子」を、自分流に描いてみようと思ったのかも知れません。
ゴッホはゴーギャンがまだアルルに滞在していた時に、《ゴーギャンの椅子》に着手していますが、去っていく予感を感じ取り、ゴーギャンの不在やユートピアの喪失を悲しむ気持ちを本作で表現しているのかもしれません。
人工的なゴーギャンの椅子
フィンセント・ファン・ゴッホ《ゴーギャンの椅子》1888年
ゴッホとゴーギャンが分け合って使用した目の粗いジュート布を画布にして描いた作品の一つです。
ジュート布は、画布用ではないため絵の具が塗りづらく、所々布の目の質感が見えます。
夜
ゴーギャンの椅子は夜の設定で描かれています。
赤と緑の色合いで、夜の雰囲気を作り出し、ガス灯の光が磨かれた椅子に当たり、青みがかった影を作り出しています。
ラグジュアリーな椅子
当時のアルルの田舎町では、肘掛けのついた椅子は贅沢な調度品でした。
椅子に置かれたもの
椅子の上の本は、ゴーギャンが文学によって促されたアイデアから、知性と想像力によって作品を制作していることを表していますが、さらに…
ルーク・フィルズ《眠りにつく》
上の絵も同じくディケンズの「エドウィンドルードの謎」の挿絵で、椅子の上のろうそくがアヘン窟(アヘンを販売し秘密で喫煙できる場所)の暗闇を照らしています。
ゴッホがあえて椅子の上にろうそくを描いたのは、ゴーギャンの夜遊びへの言及なのかもしれませんし、単純に「生命」を意味しているのかもしれません。
さらにいうと、描かれている黄色い本は、「エドウィンドルードの謎」かもしれません。(黄色い表紙のバージョンがあるので)
床
ゴッホの方のむき出しのタイルとは違い、柄物のカーペットに椅子が置かれています。
このカーペットや壁のガス灯は、ゴーギャンと共同生活を送った黄色い家の部屋にあったかどうかわかっていません。
実際にあったものというよりも、これらのモチーフで、ゴーギャンの都会的な知性や派手好きな面を表現していると考えられています。
肖像画の代わりに…
人物画を最も崇高な絵画と考えていたゴッホが、ゴーギャンの肖像画を描きたかったことは、想像に難くありません。
しかし、ゴーギャンを長時間椅子に座らせ、さらに想像ではなく現実の姿を描きたいとは言い出せなかったのでしょう。
そこでゴッホは、ゴーギャンが愛用する椅子を描くという妙案を思いついたのかもしれません。
素朴で飾り気のないゴッホの椅子
フィンセント・ファン・ゴッホ《ファン・ゴッホの椅子》1888年
日中
ゴッホの椅子は日中の設定で描かれています。
質素な椅子
ゴーギャンがアルルにやって来ることがわかると、すぐにゴッホは彼を歓迎するために特別な準備をしました。
いぐさを張った素朴な白木の椅子を一組購入したこともその一つでした。
ゴッホが伝えようとしていた「率直で素朴な単純さ」のイメージを反映しています。
この椅子、頑丈そうに見えますが、よく見ると脚の位置がガタガタだったりと粗雑に作られていることがわかります。
ゴッホの《アルルの部屋》にもこの椅子が登場しています。
椅子に置かれたもの
椅子の上には、パイプと煙草入れの袋が描かれています。
これは、自分にとって作品のために必要なのは、身の回りにある日用品だけだということを表しています。
さらには、パイプと煙草の袋は、耳切り事件のあとに描かれており、ゴッホにとって煙草は、気が滅入る時の自殺予防の薬でもありました。
また、17世紀オランダ絵画において、パイプの煙は、はかなさを象徴するものでした。
浮世絵のように描いた床
ゴッホは、パリ滞在中に浮世絵と出会い、大きな影響を受けました。
浮世絵の明るい色彩や、力強い輪郭、臨場感を好みました。
浮世絵の特徴のひとつとして、遠近法をあえて無視して、鑑賞者を見せたいものに集中させるというテクニックがありました。
この絵でも、高い位置から見下ろすような構図になっていますが、タイルを敷いた床の遠近は誇張されているため、構図全体がこちら側ににじり寄ってくるような効果を生み出しています。
芽の出た玉ねぎ
静物画として玉ねぎを描くのであれば、芽の出ていないキレイな状態の玉ねぎだけを描こうと思いそうなものですが、ゴッホは、自然の成長をありのままに表現することを良しとしていました。
有名なひまわりの作品でも、開花したばかりのものとともに、しおれた花も描いていました。
こういった植物の自然な成長を強調した描写は、「想像から描け」というゴーギャンのアドバイスに対する拒否を表しているのかもしれません。
また、箱に、刷り出された会社名のように自分の名前をサインしています。
ゴーギャンの描いた椅子
ポール・ゴーギャン《ひじ掛け椅子の上のひまわり》1901年
ゴーギャンが亡くなる2年前に描いた作品です。
ゴーギャンは、わざわざフランスからひまわりの種を取り寄せて、タヒチで育て、花を咲かせました。
肘掛け椅子は、かつてアルルでゴッホがゴーギャンのために用意していたものです。
肘掛け椅子はゴーギャンを、ひまわりはゴッホを意味しているといわれています。
ポール・ゴーギャン《ひじ掛け椅子の上のひまわり》1901年
ちなみにゴッホがひまわりの絵をたくさん描いたのは、ゴーギャンがゴッホのひまわりの絵を気に入っていたからでした。
ゴッホの死から11年後に描かれたこれらの作品は、ゴッホとの思い出を重ねて描いたと考えられています。