トリスタンとイゾルデを超解説!誤って飲んだ媚薬のせいで…?

こんにちは!

今回は、トリスタンとイゾルデの物語についてです。

早速見ていきましょう!

トリスタンとイゾルデ

ジョン・ダンカン《トリスタンとイゾルデ》1912年

アーサー王伝説に登場する円卓の騎士トリスタンと、マーク王の妃イゾルデは、禁断の恋に落ちます。

アーサー王伝説と言われるだけあって、物語自体は創作ですが、アーサー王らしき人物は実在したかもしれないそうで…(とはいえ、いないと断言できないというだけで、可能性はほぼゼロに近い)。

『トリスタンとイゾルデ』の物語は、元々は独立した作品でしたが、アーサー王物語に組み込まれました。

物語にはいくつかのバリエーションがありますが、大まかな流れは同じです。

恩人のマルク王

エドワード・バーン=ジョーンズ《マーク王と美しいイゾルデ》1862年

騎士トリスタンは生後すぐに両親を亡くし(「トリスタン」は「悲しみの子」の意)、父の家来に引き取られますが、 誘拐された末に海に流されてしまいます。

たどり着いた先の領主マルク王に拾われ、王に仕える騎士となりました。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「ハープを演奏するトリスタン」》1927年

色白イケメンで文武両道なトリスタンは、なんでも上手にこなすことができましたが、とりわけ秀でていたのは、竪琴の演奏と歌をうたうことでした。

そして実は、マルク王はトリスタンの母親の兄だった、ということが判明します。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「獣を殺すトリスタン」》1927年

トリスタンは恩人であるマルク王のため、皆が戦うのを嫌がるようなめちゃめちゃ強い相手との戦いに自ら名乗り出て勝ったり、魔性の竜を退治したものに美しい姫を与えると聞いては、マルク王の妃ゲットのため竜を仕留めに行ったりと大活躍しました。

そして約束通り、美しい姫イゾルデがマルク王のもとへ嫁ぐこととなりました。

ここでは触れませんが、実はトリスタンが殺しためちゃめちゃ強い相手はイゾルデの母の弟で、そのことが彼女にバレて殺されそうになったことも…。

媚薬ハプニング

ハーバート・ジェームズ・ドレイパー《トリスタンとイゾルデ》1901年

マルクに嫁ぐアイルランド王女イゾルデは、王のもとに向かう船のなかにいます。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス《媚薬を持ったトリスタンとイゾルデ》1916年頃

イゾルデの侍女として同行していた従姉妹のブランゲーネは、イゾルデの母からイゾルデとマルク王の婚礼の儀がすんだら、ワインだと言って2人に飲ませるようにと、媚薬入りの酒(一緒に飲んだ相手しか愛せなくなる魔法の薬)を受け取り、持っていました。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「愛の媚薬を調合する」》1927年

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《媚薬を飲むトリスタンとイゾルデ》1867年

しかし、ちょっと目を離した隙に、イゾルデとのおしゃべりで喉の渇いたトリスタンが、続いてイゾルデが、その媚薬入りの酒をワインと勘違いして飲み干してしまい、激しい恋に落ちてしまいます。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「女王はごくごく飲み、それをトリスタンに渡しました」》1927年

空になった瓶を見て、「おお…おわった…死にたい!」全てを悟ったブランゲーネは死人のように真っ青になり、体から力が抜けます。

オーブリー・ビアズリー《『アーサー王の死』の挿絵「トリスタン卿が愛の飲み物をどのように飲んだのか」》1894年

責任を感じたブランゲーネは、以降この恋人たちの手助けをできるだけしました。文字通り、かなり体を張って頑張ります。

アウグスト・シュピース《媚薬を飲むトリスタンとイゾルデ》1883年

王の相談役のように2人の仲をたびたび疑う者もいましたが、トリスタンとイゾルデは無実であるように見せかけ続けました。

トリスタンはマルク王を師また養父として尊敬し愛していたし、イゾルデは政略結婚であるにもかかわらず彼女に優しいマルク王に感謝していました。

ウィリアム・ストット《王女イゾルデ》1891年

マルク王もトリスタンとイゾルデを息子、また妻として愛していました。

しかし、3人は夜ごと恐ろしい未来を予告する悪夢に悩まされるようになります。

エドワード・バーン=ジョーンズ《トリスタンの狂気》1862年

上の絵では、イゾルデへの愛に狂って森をさまようトリスタンに、1人の乙女が竪琴を与え、音楽によって正気に戻らせるシーンが描かれています。

音楽が心を鎮めるものであることを示しています。

秘密の恋がバレる

アウグスト・シュピース《マルク王によって発見されたトリスタンとイゾルデ》1883年

マルク王はついにトリスタンとイゾルデの不貞に気づき、処罰を与えることを決意します。

ユーグ・メルル《トリスタンとイゾルデ》1870年頃

それはトリスタンを火刑に処し、イゾルデを癩病患者の家に閉じ込めるというものでした。

ガストン・ビュシエール《トリスタンとイゾルデ》1911年

トリスタンは礼拝堂から飛び降りて処刑から逃れ、イゾルデを救出しました。

アウグスト・シュピース《庭のトリスタンとイゾルデ》1883年

2人は森へ隠れ、マルク王に発見されるまでの日々をそこで過ごしました。

ものは言いよう

また別の説では、2人の不倫を確信したマルク王が、イゾルデに試練を与え、神意による裁判で決着をつけようとします。

どんな試練かというと、聖遺物の上に手をかざし、天(神、つまりイエス・キリスト)にむかって、トリスタンと不倫をしていないと誓い、鉄の棒を握りしめる、というものです。

これが真実なら、彼女の手は焼けず、嘘なら焼ける、ということです。

この試練が行われる場所に行くためには沼を渡らなくてはなりませんでした。

そこでイゾルデは前もってトリスタンに癩病人の変装をして沼地の近くにいるよう指示しました。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「乞食がイゾルデを運ぶ」》1927年

試練当日、イゾルデは癩病人に「そこの人、服を汚したくないので、わたしのロバになってあちらまで運んでくださらない?」と話しかけ、彼にまたがって沼を渡りました。

そして彼女の試練が始まり、イゾルデは神にむかって「わたしの膝のあいだに割って入ったことがあるのは、わたしをこちらまで背負ってきたあの癩病人と、わが夫マルク王のみだと誓います」と言い、鉄の棒を握りしめました。

彼女の手は焼けず、彼女の疑いは晴れました。

しかし、トリスタンとイゾルデの様子を見て、2人が恋をしていることは明らかでした。

マルク王は2人の仲を疑い追放したかと思えば、やっぱ信じてみようと呼び戻し、でもやっぱり信じきれず監視し、逢瀬を目撃して2人に罰を与えようとしたりと大忙しです。

悲しみを紛らすために円卓の騎士に

シドニー・メテイヤード《トリスタンとイゾルデ》

トリスタンは、自分を殺すこともできたはずなのに、たびたび信じよう許そうと努力するマルク王と、自分のせいで女王という地位が揺らいでいるイゾルデに対して罪悪感を感じていました。

そこでイゾルデをマルク王の元に返し、自身はコーンウォール(マルク王はコーンウォールの王)を去るという条件で王と和解しました。

悲しみを紛らわせるために、トリスタンはヨーロッパ中をまわり、様々な朝鮮や難題を引き受け、こなしていました。

そしてアーサー王のところへ行き、円卓の騎士にもなりました。

白い手のイゾルデ

その後トリスタンはブルターニュへ行き、そこで美しく先の恋人と同じ名前を持つ、ブルターニュ王の娘、白い手のイゾルデと結婚しました。

しかし、トリスタンの想い人はイゾルデだけです。

そのことを知った妻である白い手のイゾルデの心は、怒りと嫉妬でいっぱいになります。

ある日、トリスタンは一騎討ちで敵を倒すも、毒槍にやられて重傷を負います。

特殊な毒のため、普通の医者では治すことができませんでした。

そこで、イゾルデが母から受け継いでいる特殊な技術で調合した解毒剤なら治るのではと、彼女を呼んでほしいと言いました(母はあの愛の媚薬も調合していますよね)。

そして、帰りの船でイゾルデが乗っていたら白い帆を、不在なら黒い帆を船に上げるよう頼みました。やめておけばいいのに…。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「帆の種類を教えてください」》1927年

それを盗み聞きしていた白い手のイゾルデは、復讐だとばかりに、死にかけているトリスタンに対して、「黒い帆が上がってますわ」と嘘をつきます。

マック・ハーシュバーガー《『トリスタンとイゾルデ』の挿絵「トリスタンの死」》1927年

トリスタンはこれを聞いてショック死してしまいます…。

アウグスト・シュピース《イゾルデの死》1883年

到着したイゾルデは、トリスタンの遺骸と対面し、彼女もショック死してしまいます…。

ロジェリオ・デ・エグスキザ《トリスタンとイゾルデ(死)》1910年

2人の遺骸はコーンウォールに運ばれ、マルク王の手によって並んで葬られました。

2人の遺骸からはぶどうのつたとバラが生えました。

2本の木は枝を互いにしっかりと絡み合わせ、2本を分けることは誰にもできなかったとか。

束の間の密会

《歌の終わり(トリスタンとイゾルデ)》1902年

別説では、トリスタンはイゾルデのためにハープを奏でていた時に、マルク王の毒槍で致命傷を負いました。

N・C・ワイエス《『少年のアーサー王物語』の挿絵「マーク王は、高貴な騎士であるトリスタン卿を殺害しました」》1917年

フォード・マドックス・ブラウン《サー・トリスタンの死》1864年

重傷のトリスタンが死ぬと、イゾルデもあとを追うようにして死んでしまいました。

フランスの詩人ベルールやトマの作品で知られるトリスタンとイゾルデの物語は、ワーグナーの歌劇やコクトーの映画でも有名になり、絵画にも数多く描かれています。

ダリ&シャネルが制作したバレエ

サルバドール・ダリ《トリスタンとイゾルデ》1944年

ダリは、ワーグナー作曲の『トリスタンとイゾルデ』に着想を得て、バレエ『狂えるトリスタン』をプロデュースしました(衣装はココ・シャネルが制作)。

上の絵は、タンポポの方がトリスタン、カートが背中に突き刺さっている方がイゾルデです。

これらの絵は、その際に描かれたものです。

サルバドール・ダリ《狂えるトリスタン》1938年