こんにちは!
今回は、コンスタブルの《干し草車》を解説します。
早速見ていきましょう!
乾草の車
ジョン・コンスタブル《干し草車》1821年
コンスタブルの故郷、イギリス東部サフォーク州の風景を描いた作品です。
というよりも、コンスタブルはこの地の風景ばかりを描いた画家です。
この作品では、フラットフォード製粉所から見たストゥーア川の風景が描かれています。
問題作だった?
この作品、現代の私たちが見ると、風景の絵だな〜と思うだけで、何かの議論を呼び起こしそうな問題作には見えませんよね?
しかし、1821年にロンドンでこの作品が最初に展示されたとき、題材の面でも技術の面でもそれまでの一般的な作品からあまりに離脱していたため、周囲に相手にされませんでした。
当時、イギリスの日常風景を大きなスケールで描いたことが、あまりにも斬新なものでした。
テクニックの点では、コンスタブル の表情豊かな筆づかいは、軽くたたいたり押しつけたりしたようなものばかりで、あまりに粗すぎると誤解され非難されました。
しかし、それは、物や人の動き、生命力、光を伝えるためでした。
その3年あまり後に、パリで展示されたときには、評価は完全に好意的で、この作品は金賞を受賞しました。
干し草車
干し草車というのは、刈り取って乾燥させた草を運ぶための木製のワゴンのことです。
干し草を積むために、荷車は浅瀬で川を渡り、向かいの牧草地へ行こうと、右に曲がる瞬間が描かれています。
なぜ川を渡っているのかというと、馬に水を飲ませるため、もしくは、木製の車輪を囲う金属製の外輪がきちんと固定されているかどうかを調べるためです。
暖かく乾燥した天気では木材が縮み、金属製の外輪が緩むことがあるため、水に浸けて締めていました。
コンスタブルは、描きためていたたくさんのスケッチを組み合わせてこの作品を描きましたが、肝心の干し草車のスケッチがありませんでした。
この絵を描くときには、都会にアトリエを移していたため、故郷の友人にスケッチしてもらったものを参考に描いたそう。
差し色の赤
馬の首あては、引き具が馬の肩と背中を擦らないようにするためのものでしたが、赤は農耕馬に普通は使われない色でした。
コンスタブルは、ところどころに赤を補色として用い、農地と木の葉のみずみずしい緑を強調しています。
前景のボート近くの漁師は、赤いネッカチーフを巻き、作業中の農夫の1人は、赤い飾り帯をしています。
そして、底部の左手側にはひなげしの小さな茂みがあります。
犬と消えた騎手と馬
このぽつんといる犬に目が行きますよね?
この犬が見ているのは…干し草車です。
荷車にいる農夫の1人が、この犬に向かって身振りをしており、物語性が感じられます。
鑑賞者の視線をさりげなく誘導しています。
元々、この犬の横に騎手と馬が描かれていたのですが、最終的には消しています。
犬だけにしたことで、1点に視線が集中し、鑑賞者を風景の中へ引き込んでいきます。
同じ犬が、コンスタブルの他の作品にも登場しています。
赤いレンガの家
コンスタブルが幼い頃から知っていた家でした。
というのも、コンスタブルの父親が、農夫のウィリー・ロットにこのコテージを貸していたからです。
習作としてよく描いていました。
煙突から上る煙によって、農夫が屋内にいることが示されています。
また、絵の左手前に、この赤いレンガの家や、木々を描くことによって、右奥の放草地や林への距離感が強調され、ゆったりと奥行きのある作品に仕上がっています。
このコテージは、「コンスタブル ・カントリー」として知られるサフォークの地に今も残っています。
ボート
左の家と干し草車のバランスを取るために、ボートがこの場所に描かれています。
また、光を表現するために、木の葉の部分や水面など、小さな白い点をキャンバスに置いています。
批評家とコンスタブルは、このテクニックを彼の「雪」と呼びました。
これが印象派の先駆けと呼ばれる所以でもあります。
印象派が当初酷評されたように、この絵も当時は未完成の作品と誤解され、母国イギリスでは不評でしたが、フランスでは大きな反響を呼びました。
木々
いろんな緑を近くに並べ、生き生きとした木々の緑を表現しています。
この筆跡分割を、ドラクロワはコンスタブルの絵から学び、それが後に印象派につながっていきます。