メーヘレン贋作事件を超解説!フェルメールの新作を描いた男

こんにちは!

今回は、稀代のフェルメール贋作師メーヘレンの贋作事件を解説します。

早速見ていきましょう!

エマオの晩餐

ハン・ファン・メーヘレン《エマオの晩餐》1937年

エマオの晩餐とは?

十字架による処刑の3日後にイエスが復活しました。

この不思議について、イエスの弟子ふたりが議論しながらエマオへ向かっていたところ、いつのまにか見知らぬ人が同行していました。

エマオに着き、3人で食卓を囲みます。

その人がパンを割いて分けた途端、彼こそイエスであることを理解しましたが、イエスは消えてしまいました。

その奇跡のシーンを描いた作品で、たった今、弟子たちの目に、青い着衣のイエス・キリストが見えたところが描かれています。

悲しげに眼を伏せ、自らの肉であるパンを割る姿。

傍らに立つ宿の女中には、パンしか見えていません。

静かなドラマが進行するなか、パンはフェルメール風の光の粒で煌めいています。

新発見されたフェルメール作品

「イエスの顔には、神の子としてこの世で受けねばならなかったあらゆる苦しみが秘められている」

「女中の表情がすばらしく、本作のもっとも優れた点」

「フェルメールの知られざる傑作と確信」

1937年、高名な美術史家ブレディウス博士がこう絶讃して、本作にフェルメール真筆のお墨付きを与えました。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1601年

「『エマオの晩餐』に見られるカラヴァッジョの影響」なる論文まで出ました。

本作が、上の絵と画面構成が似ているからです。

生涯に謎の多いフェルメールでしたが、これで若いころイタリアで修行していた可能性が強くなった!、とも言われ…。

20世紀になって忽然とあらわれたこのフェルメールは、こうしてオランダ美術界の宝とされました。

これほど大々的とはいえないものの、他にもその後、次々と新発見のフェルメール作品が美術市場にあらわれ、7点が画商の手を経てコレクターに渡っていきました。

あまり話題にならなかったのは、第二次世界大戦が勃発したからでした。

戦争と名画略奪

ハン・ファン・メーヘレン《キリストと悔恨の女(姦通の女)》1942年

戦争で絵画鑑賞どころではなくなり、美術館は閉鎖されました。

やがてオランダはドイツの軍門に下り、どの戦争においても必ず敗戦国になされる仕打ちのひとつである名画略奪(安く買い叩くのも含む)の憂き目にあいました。

国宝級の作品だけは、何とか守ろうと必死に隠匿したものの、多くが流出していきました。

その中の一つ、新発見のフェルメール作《姦通の女》が、絵画愛好家として知られるナチスのゲーリング元帥の手に落ちました。

フェルメールをナチスへ売った男

第二次世界大戦が終結した1945年、連ナチス侵攻からの解放を喜ぶオランダで、ひとりの男が逮捕されました。

アムステルダムの高級住宅地カイゼルス・フラット(皇帝の運河)に優雅に住まう、ハン・ファン・メーヘレンという無名の画家でした。 

罪状は、祖国の宝と言うべきフェルメールを、持ち主マルヴーケ夫人の代理人として、戦中ドイツのゲーリングへ仲介した、というもので重罪でした。

売れない画家のはずなのに、億万長者の暮らしをずっと続けていたメーヘレンは、これ以外にも売国行為をしていたからではないのかと疑われ、国家反逆者として世間の非難を浴びることに…。 

「フェルメール」を描いたのは私

メーヘレンは6週間も否認した後、ついに告白しました。

しかしそれは驚くべき事実でした。

《姦通の女》の所有者マルヴーケ夫人という人物は存在していない、そもそもゲーリングに売ったあの絵はフェルメールではなく、自分が描いた贋作だと告白しました。

それだけでなく、ブレディウス博士が太鼓判を押した《エマオの晩餐》を含む、8点全て、この自分がこの手で描いた、と主張しました。

それだけでなく、いろいろな美術館におさまっている、ハルスやデ・ホーホの中にも自分が描いたものがある、傑作は昔から得意だった、だから富豪になったのだ…などなど。

これらは苦し紛れの虚言と思われ、最初裁判官たちはまともに取りあいませんでした。

国家反逆罪より贋作罪のほうがずっと軽いので、刑罰逃れの苦し紛れの言い訳だろうと思われ、マスコミからは「売国奴」と厳しいバッシングを受けました。

前代未聞の拘置所での作画

1945年の写真

ついには、実際にこの場で今フェルメールを描いてみせてもいい、とまで言い出しました。

かくして前代未聞の、拘置所での作画による証明が、専門家たちから成る調査委員会や裁判官たちの面前で行なわれ、その様子は写真にも撮られました。

 

キャンバスに描き出されてゆくそれは、フェルメール真作の模写と違い、メーヘレン独自の構図と主題をもった、つまり《エマオの晩餐》と全く同じ手法で描かれた、彼オリジナルの「フェルメール風新作」でした。 

登場人物はどれも、フェルメールならぬメーヘレンお気に入りの顔、つまり少女漫画のようにやたらめったら目玉の大きい、しかも眼窩の深く落ちくぼんだ特徴を持っています。 

ひとりならともかく、画面上の皆がそんな目をしているのはかなり異様で、完成した《神殿のイエス》は、メーヘレンの贋作中かなり出来の悪い部類に入りますが、それでも彼がフェルメールの偽造者である根拠としては十分以上でした。

さらに、過去の制作場からも贋作や怪しい画材も見つかりました。

なぜ自白したのか

メーヘレンはなぜ自白したのか。

その葛藤に幕を引いたのは、こんな出来事でした。

転売幇助を否認し続けるなかで、くだんのフェルメール購入時、ゲーリングは代金がわりに所有する他のオランダ絵画多数を手放したとの話も浮上していました。

事実なら、その200点余を敵国から救出した英雄ともとれる展開になります。

しかし、取り調べ士官が「だとしても、引き換えに彼はフェルメールの貴重作を手に入れたわけだ」と呟いた瞬間、メーヘレンの自制心は決壊しました。

「ばかな!フェルメールなんてなかったんだ。なぜなら……」と暴露に至ります。

悔恨や懺悔からというより、売国奴という不名誉で重刑に処されるくらいなら、という究極の選択ともとれます。

あるいは、いつか自分がこの名画を創り出したのだということを知らしめる瞬間を待っていたのでしょうか。

奇妙なことにメーヘレンは、《エマオの晩餐》に使った17世紀製キャンバスの支持体(一部切断して改変していた)の残りを保存していました。

何か自分の仕事の証を残したかったとも推測できます。

《エマオの晩餐》が美術界を騙しおおせた経緯は、そんな彼一流の作家性(そう呼ぶことが許されるなら)を物語っています。

騙された理由①ありそうでなかった主題の絵だったから

まず主題は模写でなく、庶民たちの日常に輝きを与えたフェルメールについて囁かれてきた「未発見の宗教画」というありうべきピースを想定したものだったから(この方向性は以降も続きます)。

騙された理由②こだわりの制作方法

制作法にも尋常でないこだわりが見えます。

本物の17世紀の無名画を仕入れ、表面の絵を削り取り、当時と同じ顔料(乾燥を促進する合成樹脂も混合)や絵筆を使ってフェルメール風の絵を描きました。

フェルメールの青を再現すべく高価なラピスラズリも用いました。

さらに自作オーブンで絵を加熱して古さを出し、ニスの塗り拭きを繰り返し、ローラーで亀裂を起こして、割れ目に墨を注入しました。

これが3世紀の経年を物語る画面の硬化・亀裂・汚れを再現しました。

X線撮影や化学検査も念頭に置いた、贋作師メーヘレンの執念が感じられます。

騙された理由③フェルメールに1番詳しい人が本物だと言ったから

メーヘレンは、最新の科学検証を回避することにも成功しました。

結果から言うと、最初にその道の権威を騙し切れたことで、そこに異を唱えてまでの科学検証は行われませんでした

1936年、《エマオの晩餐》は、オランダ美術界の重鎮で、フェルメール研究の第一人者にしてコレクターのアブラハム・ブレディウスの元へ持ち込まれました。

マウリッツハイス美術館館長も務めたこの老権威を訪ねたのは、「あるご婦人の代理人」なる法律家でしたが、この人物もメーヘレンに騙され、没落貴族から預かる掘出物と聞かされていました。

ブレディウスは実物を前に驚嘆し、アルコールによる表面の調査などの後、真作鑑定書に署名しました。

彼こそフェルメールの未知の宗教画の存在を推測した人であったこと、また贋作師の筆が、玄人ほど気になりそうな既存作の面影(《天文学者》《牛乳を注ぐ 女》など))を仄めかしたのも影響したのでしょうか。

ほどなく『バーリントン・マガジン』への論文で、大発見の悦びを「生涯の中でもすぱらしい一瞬」と記しました。

新たなフェルメールが公式に生まれた瞬間でした。

一方、評伝『フェルメールになれなかった男』で著者のフランク・ウインは、当時ニューヨークのフリック・コレクション顧問だったジョセフ・デヴィーンがこの絵を実見後、「真っ赤な偽物」と評したとも記しています。

しかし、ブレディウス論文の発表後、こうした指摘は大声ではなされず、間違いなくフェルメールの初期宗教作品だと、ド・フリースをはじめとした著名な研究者たちや、数々の美術雑誌が同調しました。

海外に流出しないよう、ブレディウス博士が中心になって設立したレンブラント協会の資金援助を得て、ロッテルダムのボイマンス美術館(現ボイマンス・ヴァン・ベウニンゲン美術館)が、当時としては破格の大金52万ギルダーで購入しました。

翌1938年、当美術館が開催した「1400年〜1800年/4世紀間の巨匠たち」の目玉作品として、華々しくお披露目され、人々を感動させました。

賑わうお披露目展で思わずこの名作に手を伸ばし、警備員に制止されたのは……他ならぬメーヘレンだったといわれています。

英雄扱い

メーヘレンは売国奴から一転、まんまとナチスに偽物を掴ませた「英雄」として、一部から喝采を浴びることになりました。

彼の絵が本当にフェルメールに似ていたのか?

ただ、メーヘレンの絵が実際にフェルメールに肉迫しえたかについては、異論も目立ちます。

贋作とわかった後で贋作の証明をするほど容易なことはないと思いますが、批評家は口をそろえてこう言いました。

フェルメール特有の光の粒がパンにしか見られないし、女性の衣服に全く陰影がなく、遠近法が不完全、射光のコントラストが強すぎ、画面右の弟子の袖の描写が稚拙なため腕があるとは見えない、こんな愚作をなぜフェルメールと見誤ったか、信じ難い、と…。

巨匠とはいえ、どうしてこれが?と思うほど下手な作品を生み出してしまうことがあること、さらには画風が定まる前の初期の作品と考えれば多少の下手さには納得できてしまうことなど、どうしてこれをフェルメールだと思ってしまったのかについては、いくらでも理由をつけることはできます。

専門家であればあるほど、胸躍る美術史上の大発見を信じたかったのかもしれません。

好意的な向きも、《エマオの晩餐》 以降の彼の仕事については、構図取りや描画力においては辛口のようでした。

習作的な《キリスト頭部》をまず世に出し、これを取り入れた《最後の晩餐(キリストの側には《真珠の耳飾りの少女》に似た人物も描いた)》を売り抜けるなど、狡猾な手管は駆使しましたが、後年彼の筆さばきからは精緻さが薄れていくようにも見えます。

裁判の行方

贋作疑惑が持ち上がると一転、メーヘレンの作品の購入者たちからは次々と賠償騒ぎが持ち上がりました。

メーヘレンにとっては、批評や市場といった、自分が憎んだ権威の欺瞞、いい加減さを露呈せしめたことになります。

裁判で弁護側は、メーヘレンは自作を巨匠の絵と明確に謳ったことはなく、買い手たちが勝手に勘違いしたとの主張を展開しました。

結局、1947年、詐欺罪で禁固1年という寛容な判決を受けました。

実際にはこれまでの収監期間を差し引いて、わずか4ヵ月ですむはずでしたが、長年の放蕩でアルコールや麻薬で身体が蝕まれていたため、その前に心臓発作で倒れてしました。

同年暮れ、稀代の贋作師はアムステルダムで58年の生涯を閉じました。

美術界の問題点

ブレディウス博士のような大物鑑定家がフェルメール真筆と太鼓判を押したからこその騒動でしたが、彼はこの結果をどう受けとめ、どう責任を取ったのでしょうか?

しかし博士はすでにこの世の人ではありませんでした。

もちろん博士ひとりのせいにはできません。

大御所の一言で右へ倣えする専門家集団というものがあり、それを無批判に受け入れるジャーナリズムがあり、さらにはお偉方のお墨つきなら何でも盲信する買い手や大勢の鑑賞者がいて、贋作ビジネスは成り立っています。

今でも問題点が解決されていないのは、美術界の閉鎖性を見ればわかります。

とはいえ有名画家の隠された名画発見、というのは近年少なくなり(メーヘレン事件以来、リスクの大きさに怖気をふるってなのか)、逆に、どこどこ美術館のあの絵は贋作だ、といった発表は増えました(ライバルを蹴落とす絶好の機会…)。

教訓として展示されている

本作は現在もボイマンス・ヴァン・ベウニンゲン美術館に、メーヘレンの名前とともに飾られています。

さすがに今ではもうフェルメールと言い張る者はいませんが(かつてはメーヘレンの告白を頑として信じない者も少なくなかった)、フェルメールと見誤る程度には優れた絵として、また苦い教訓を忘れないためにも、倉庫に匿さないで展示するという選択がとられています。 

事件後フェルメールの真作数は、 10数作から30余点にまで減少しました。

より疑うことを学んだ 関係者の調査が、新たに贋作とすべき絵を見つけたためです。

他方、画家メーヘレンが自身の名のもとに描いた「真作」が、騒動で注目を浴びてから収蔵・調査対象になるという意外な現象も起きました。

私たちは何を見ているのか?

この絵を前にすると、恐ろしい問いかけがなされているのを感じます。

果たして私たちは絵それ自体を見ているのか、それとも有名画家の名前を見ているだけなのか….。

り抜け目ない贋作師の作が、 今もどこかで讃えられているのでいないか。

そして結局のところ、美術における真贋とはなんなのか?

絵画の価格は何によって決まるのか?

60年代に入り、《エマオの晩餐》はカーネギー・メロン大学で再調査されました。

画材の鉛白が含む鉛の放射性溶解から、20世紀の絵だと結論付けられました。

ですが、科学的技術の進歩が贋作を撲滅できるとか、メーへ レンの暗躍はあの戦時の混乱時だったから可能だった、といった話で事を済ませるべきではなく、多層的な示唆を含むものがあります。

映画化


ナチスの愛したフェルメール(字幕版)

この事件が映画化されています。