モネの第2回印象派展とあやしい関係(モネの生涯12)

こんにちは!

今回は、モネの第2回印象派展についてです。

早速見ていきましょう!

モネの第2回印象派展とあやしい関係

前回のおさらい

金欠のモネは仲間たちと第1回印象派展を開いてみましたが、全く売れず、マネ先輩に甘えてばかりいました。

モネのズタボロ第1回印象派展を超解説!(モネの生涯11)

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ちょっといい感じの第2回印象派展

クロード・モネ《ラ・ジャポネーズ》1876年

モネ36歳のとき、デュラン=リュエル画廊で開催された第2回印象派展に参加しました。

18点出品し、日本の着物姿の妻カミーユを描いた上の絵などを出品しました。

この絵は好評で2,000フランで売れましたが、モネの経済的困窮が解消したわけではありませんでした。

クロード・モネ《散歩、日傘をさす女性》1875年

新聞の評価は、第1回印象派展のときよりは好意的でした。

クロード・モネ《夏》1874年

ゾラは、「モネこそは、おそらくこのグループのリーダーだろう。彼の筆さばきは素晴らしく、際立っている」と評価しました。

上の絵はそんなゾラが特に称賛した絵です。

また、画家カイユボット、医師ジョルジュ・ド・ベリオなどがモネの作品を購入したり支援するようになりました。

とはいえまだ一般の人々からのウケはよくありませんでした。

批評家アルベール・ヴォルフは「フィガロ」紙で、第2回印象派展について「これら自称芸術家たちは、自ら『革新派』または『印象派』と名乗り、キャンバスと絵具を手にすると、手当たり次第に色彩を投げつけ、そしてそれら全部に、堂々と署名するのだ……。そこには、完全な発狂状態にまで達した人間の虚栄心の恐ろしい姿が見られる」と酷評しました。

パトロンの妻といい感じに?

クロード・モネ《七面鳥》1877年

この年の夏から秋にかけて、パトロンとなる実業家のエルネスト・オシュデからパリ近郊のモンジュロンのロッタンブール城に招かれて滞在し、居間を飾るための上の絵含む4点の作品を制作しました。

エルネストの妻アリスは、1年後に第6子ジャン=ピエールを生んでいますが、彼はモネの子ではないかといわれています。

モネは、相変わらず経済的困窮が続き、ゾラやシャルパンティエなど支援者たちにたびたび資金援助の依頼をしました。

次回は、ハッタリをかませ!モネのツヨツヨエピソード編です!

続きはこちら↓

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