マネ「バルコニー」を超解説!都会の人々の無関心を描いた?

こんにちは!

今回は、マネの《バルコニー》について解説します。

早速見ていきましょう!

バルコニー

エドゥアール・マネ《バルコニー》1868-1869年

1869年のサロンに出品し、入選した作品です。

きっかけ

1868年夏、36歳のマネは、家族とフランスとイギリスの間にあるドーバー海峡の近くのブーローニュ=シュル=メールに滞在しました。

《バルコニー》は、散歩のときに町で目にしたバルコニーに佇む人々に発想を得て描かれたといわれています。

元ネタ

この作品の元ネタは、下の絵です↓

フランシスコ・デ・ゴヤに帰属《バルコニーのマハたち》1800-1810年 メトロポリタン美術館

フランシスコ・デ・ゴヤ《バルコニーのマハたち》1800-1812年 個人像

当時この絵のどちらかがルーヴル美術館にあり、マネはそこで目にしたと考えられています。

この作品の構図を借りて、マネは、自分の生きた時代のブルジョワの都市生活を描きました。

モデル

 

画家ベルト・モリゾです。顔が強い。

マネとモリゾは親しかったのですが、それが画家としての交流なのか、恋愛関係にあったのかはよくわかっていません。

2人の関係性ついてはこちら↓

細部までしっかり描かれているのはモリゾだけで、他の人物は結構大雑把に描かれています。

 

ヴァイオリニストのファニー・クラウスです。

彼女はマネの妻でピアニストだったシュザンヌの演奏仲間でした。

 

友人の風景画家アントワーヌ・ギユメです。

彼は、マネとゾラを引きあわせた人物でもあります。

 

この犬は、マネと親交のあった批評家のデュレが、アジア旅行の際に連れて帰ったものです。

デュレは、印象派の支持者として知られており、来日した際には、浮世絵に描かれた東海道を実際に旅するほどの日本オタクでした。

 

そしてもうひとりいるのに気が付きましたか?

コーヒーを運んでいる彼は、マネの妻シュザンヌの息子レオン・コエラです。

ちなみにレオンがマネの子供なのかは微妙なところ…

その辺の話は↓で書いています。

レオン以外は画家と音楽家なので、芸術家たちの肖像といったところですね。

白・黒・緑

マネが得意とした白と黒の対比に緑を加えた3色で画面を構成しています。

そこに、肌色を活かしながら青、赤褐でアクセントをつけています。

平面的な画面とメリハリの効いた明暗でマネらしい作品に仕上がっていますが、当時はそのマネらしい手法が全くウケませんでした。

評価

ゴヤの作品とは違って、マネの作品は、人物がそれぞれ別の方向を向いており、同じ場所にはいるけれど、無関心さが漂い、これといった物語性もありません。

このことから、サロンで発表した当時は、批評家から「脈絡が無さすぎて意味がわからない」と非難されました。

現代では、近代の人間の心の中にある無関心を捉えているとして、マネの代表作となっています。

パロディ

ルネ・マグリット 《マネのバルコニー》1950年

マネの作品に描かれていた人物を、棺桶に置き換えて描いています。

マネは人物を、人物というよりも「もの」としての視点で描いたと言いたかったのでしょうか。

マグリットは、こういったクセのある面白い作品が多いので大好きです。