ヒトラーが飾っていたベックリン《死の島》とはどんな絵?5枚を超解説!

こんにちは!

ヒトラーが執務室に飾っていたことでも有名な《死の島》

どんな画家が描いた絵だったのか早速見ていきましょう!

アルノルト・ベックリン(1827-1901年)

アルノルト・ベックリン《自画像》1873年

アルノルト・ベックリンはスイスの象徴主義の画家です。

ギリシャ神話を題材とした作品を多く描きました。

子供はなんと12〜14人いましたが、内6〜8人は病気や事故で亡くなっています。

身近な人を何度も失うという経験からか、神秘的だけれども、どことなく陰りのある作風が特徴です。

5つの《死の島》

ずっと売れない画家でしたが、53歳のときに描いた《死の島》で絶大な人気を得ます。

多くのドイツの一般家庭でも複製画が飾られていたという異常な人気ぶり…。

こんな暗い絵をみんなこぞって飾っていたというのも、なにか病的なものを感じてしまいます。

ちなみに「死の島」は後に画商がつけたタイトルです。

ジブリ映画『風立ちぬ』にもこの絵が壁に飾られているシーンがしれっと出てきたりします。

1. 1880年

 

パトロンのアレクサンダー・ギュンターからの依頼で制作した作品です。

当初は島のみで、人は描きこまれていませんでした。

ではどうして、この絵に人が付け足しで後ほど描き込まれたのか?

理由は2枚目の絵でわかります。

2. 1880年

 

1枚目の絵を見て感動した未亡人のマリー・ベルナが、「数年前に亡くなった夫のことを祈るための絵がほしい」とのリクエストで、島の前に棺桶を付け足しました。(1枚目の絵にも付け足しました。)

圧倒的存在感の糸杉は、を象徴する木でもあります。墓地に植える木です。

つい見逃してしまいがちですが、オールを漕いでいる人物の向きがおかしいんです。

この向きでこの人物がオールを漕いだとすると、後ろ向きに、つまり島から離れてしまいます。謎だらけの絵です。

3. 1883年

 

画商フリッツ・グルリットからの依頼で描かれた作品です。

後にこの絵をヒトラーが購入し、執務室に飾っていました。

ヒトラーはベックリンの絵が大大大好きで、この絵含め11点も所有していたとか。

3枚目以降、島の右側のこの部分にベックリンのイニシャル「AB」が書き込まれています。

4. 1884年

 

画家って経済的に困ったときに、人気だった作品を複数描いて収入を得ようとするってことが結構あったりするのですが、これもそういった理由から制作した作品です。

第二次世界大戦の爆撃で消失しているため、残念ながら白黒写真しか残っていません。

5. 1886年

 

ライプツィヒ美術館からの依頼で制作し、今もその美術館で見ることができます。

わたし、この絵を初めて見たときにびっくりしてびっくりしました…

なぜかというと…

「死の島」の絵を見比べていたときに、5枚目で急に立っている白装束の人がお辞儀していたので、動いたのかと思ってギョッとした思い出があります…

下の画像は4枚目以外の白装束の人の部分アップです↓

 

心臓止まるかと思いました。急にお辞儀しないで。(笑)

生の島

《生の島》1888年

タイトルの通り、喜びと生命を感じる明るい作品です。

ただ、魅力的なのは、やっぱり《死の島》の方ですね。

頑張って明るい絵を描いた感がある作品です。

まとめ

他の絵には無い《死の島》の幻想的で病的な雰囲気からか、個人的に一度見ると忘れられない絵のひとつです。

ヒトラーを始め、どうしてドイツで《死の島》はこんなに人気なのかな〜って思ったけど、ドイツって天気悪くて、冬も長いし日照時間短くて、

そもそも照明もあまりつけないし基本暗い中で生活しているから、この絵の身にしみる暗さと共鳴しやすいのかなって。

ベックリン象徴主義の画家
・《死の島》5枚ある
・ヒトラーが大好きだった画家