「吉備大臣入唐絵巻」を超解説!天才と鬼のミラクル物語

こんにちは!

今回は、吉備大臣入唐絵巻(きびだいじんにっとうえまき)を解説します。

この絵巻は、日本にあれば間違いなく国宝!といわれている作品です。

早速見ていきましょう!

吉備大臣入唐絵巻とは

吉備大臣入唐絵巻》平安時代後期-鎌倉時代初期、12世紀末

吉備大臣入唐絵巻は、日本の12世紀末から13世紀初めに作られた絵巻物です。

アメリカのボストン美術館所蔵です。

実在する人物が主役

物語の舞台は奈良時代、吉備真備(きびのまきび)という実在する人物が主人公です。

遣唐使として唐に渡った真備は、現地で数々の難題を吹っかけられるも、唐で客死し幽鬼となった阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の助けを借りて、皇帝から出された無理難題を解いて見事に勝利し、帰国するというストーリーです。

言うまでもないかもしれませんが、阿倍仲麻呂も実在する人物です。

吉備真備とは?

吉備真備は、奈良時代の政治家、学者です。

2回にわたり唐に派遣されて、帰国後は律令の改正に尽力するなど国の発展に貢献した人物です。

真備の2度目の入唐時も仲麻呂は存命しているため、本絵巻はあくまでも「伝説」「伝承」、つまりフィクションです。

阿倍仲麻呂とは?

阿倍仲麻呂は、奈良時代の学者です。

仲麻呂は、吉備真備たちとともに遣唐留学生として入唐し、 玄宗皇帝に重く用いられました。

船が難破して帰国できず、唐で生きていくことに決め、唐の地で亡くなりました。

元になった物語がある

このストーリーは、大江匡房の『江談抄』巻三(雑事)「吉備入唐間事」に記される物語が元になっているようです。

現存の絵巻は、冒頭の真備が入唐して幽閉される詞書と、後半の「野馬台詩」の解読に成功して帰国を果たす場面がありません。

ただし冒頭の詞書については、元々無かったのではともいわれています。

錯簡によって後半の「野馬台詩」の部分が、2〜3箇所現存部分に紛れ込んでいる可能性も指摘されています。

元々は1巻の長い巻物だった

元は全長24.521mにも及ぶ1巻の巻物でしたが、昭和39年(1964年)東京オリンピック記念特別展で里帰りした際に、保存や展示の便宜をはかるため4巻に改装されました。

真備の輝くフェイス

黒い服が真備

主人公の吉備真備が目立つように、高貴に見えるように、彼の顔にだけ希少な高級顔料を使っているんだとか。

その他の人物の顔には普通の白顔料を使っています。

ボストン美術館展で実物を見ましたが、確かに真備の顔だけ白く輝いていました。1人だけ色白でかわいい。笑

吉備大臣入唐絵巻 詳細

第1巻

吉備真備一行の船が唐の港に到着しました。

さっそく唐の使者や武人たちに拉致されてしまいます。

唐の官人の車や馬が描かれています。

どこに連れて行かれるのかというと…

到着したのは、鬼が出没して生きて出るものは居ないという高楼でした。

官人が吉備の到着を皇帝に報告しています。

第2巻

真夜中、嵐の中、一人の鬼が現れました。

鬼は自ら正体を明かしました。

彼は、先に唐に渡った阿倍仲麻呂の霊(幽鬼)でした。

話がしたいという幽鬼に、「鬼の姿を変えよ」と言い、幽鬼は衣冠束帯姿で吉備大臣と対面します。

そこで幽鬼は、日本に残る自分の子孫の様子を聞きよろこび、吉備大臣に協力することを約束して帰りました。

第3巻

翌日、使者たちが楼閣を見に行くと吉備大臣が健在なことに驚きます。

吉備大臣の幽閉されている高楼に食物を運ぶ唐人たち。

そこで唐人は次の難問を考えます。

それは日本にはまだ伝わっていなかった「文選(もんぜん)」でした。

「文選」というのは、中国の全60巻からなる詩文選集のことです。

真備と仲麻呂は飛行の術で空を飛んで宮殿に忍び込み、検討中の試験問題を盗み聞きます。

真備は聞き耳を立て、仲麻呂は見張っています。顔がコミカル。

2人とも隠れる気なさすぎでは…絶対バレバレでしょう…。笑

真備は博士たちが読む『文選』を聞きながら暗記しています。天才です。

「文選」を覚えた真備は室内にその一部をわざと散らかしておきました。

到着した使者たちは真備が「文選」の内容を知っていることに驚きます。

事の次第を皇帝に報告し、真備は次に碁の名人と試合をすることになります。

第4巻

碁を知らない真備は仲麻呂から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練ります。

Netflixのドラマ「クイーンズギャンビット」でも天井をチェス盤に見立てて同じようなことをしていたのを思い出しました。そういうものなんでしょうか。笑

唐の囲碁名人と初心者の真備の対局がはじまりました。

真備は相手の碁石(黒石)を1つ、隠れて呑み込むことで、なんとか勝ちます。

納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づきます。

そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」と言いました。

怪しんだ唐人側は真備に「かりろぐ丸」という下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探しましたが、真備は術を使ってお腹の中に黒石をとどめて難を逃れました。

右で立っているのは、装束を脱がされ小袖(下着)姿の真備です。

敷物の上には、黒袍、指貫、檜扇、笏、畳紙など当時の貴人が身につけていた物が描かれており、後世の研究にとって貴重な史料となっています。

唐朝の宮殿、唐の帝王に吉備真備との勝負に負けたことを報告している囲碁名人が描かれています。

絵はここまでで終わっていますが、真備はこの後も次々と難題が課せられましたが、のらりくらりとかわし、日本に無事帰国し、「文選」や「囲碁」を持ち帰ることができました。