こんにちは!
今回は、アングルの《グランド・オダリスク》を解説します。
早速見ていきましょう!
グランド・オダリスク
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《グランド・オダリスク》1814年
ナポレオン1世の妹でナポリ王妃のカロリーヌ・ボナパルトから依頼を受け、ローマ滞在中に制作した作品です。
現在は失われた《眠る女性像》の対作品として描かれました。
しかし政権が変わり、この絵は画家の手元に残りました。
そこでイタリア留学の成果として、パリでこの絵を公開しますが、バッシングを受けることに…。
オダリスクってなに?
「オダリスク(odalisque)」というのは、トルコ語の「部屋(odaliq)」からきたフランス語で、(トルコの)ハーレムの女性のことです。
タイトルに「グランド(壮大な)」とついているのは、数多く描かれたオダリスクの絵の中で1番優れていると見做されたからで、アングル本人が付けた題名ではありません。
19世紀のフランスでは、オリエンタリスム(東方趣味)が大流行していました。
本来オリエントには中国や日本も含まれるはずですが、当時は中近東に限定され、ヨーロッパとは全く違う異国情緒とロマンティシズム、野蛮と好色に満ちあふれた地だと思われていました。
孔雀の羽やターバンなど、当時の東方趣味を反映させたものを身に付けています。
これは香炉と長い水キセルです。
嗅覚は大脳辺縁系と結びつき、本能や感情に直接作用するそう。
官能的な香りと裸身…。
ハーレムの意味
ハーレム(harem)の由来は、アラビア語のハラム(haram)で、「禁止、聖域」が語源です。
それが上層階級の男性にのみ都合の良い多重婚システムを表す言葉になっていきました。
そして、自分の妻妾や女奴隷を囲い、去勢された男性侍従である宦官に護衛させる後宮が成立しました。
オスマン帝国最盛期には、女性たちが1千人を超え、なかには美貌で知られるカフカス出身のキリスト教女性たちも多かったとか。
元ネタ
ジョルジョーネ《眠れるヴィーナス》1508-1510年頃
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ウルビーノのヴィーナス》1538年
これらのような「横たわる裸の美女」という伝統的な構図を流用しつつも、
ジャック=ルイ・ダヴィッド《レカミエ夫人》1800年
横たわって肩越しに振り返る人物のポーズを描いたこの絵を元に描いたのではといわれています。
ちなみに上の絵を描いたダヴィッドは、アングルの師匠です。
女性の顔は、大好きなラファエロ風に描いています。
艶めかしい背中の正体
当時から「椎骨が2つか3つ多すぎる」と言われていましたが、確かに背中が長いですよね。
近年の研究によれば、背中の椎骨が5つも多いんだとか…。
写真では表現できないような、極端に大きくねじ曲げたうなじと引き伸ばした背中を描いています。
でも、不自然さを感じさせず、むしろ絵の魅力を倍増していところが巨匠たる所以でもあります。
解剖学に精通していたからこそ、バランスを崩さずに描けているんです。
肌のなめらかさ
薄く溶いた絵の具を層のように塗り重ねていく古典技法で描くことで、下の色や図柄が透けて奥行きを出し、きめ細かい透明感のある肌質を表現することができています。
温かさと冷たさ
背景の薄闇、ブルーのカーテン、枕やベッドマットの青灰色、白いシーツ、高価な宝飾品などの冷ややかな印象を与えるものと、縞模様のターバン、茶色いムートン、孔雀の羽でできた扇、そして女性という温かみを感じるもの対比させ、お互いを引き立てています。
酷評
アングルが39歳のとき、サロンに出品しますが、「胴が長すぎるし、腕も細すぎだし、筋肉も骨もない」と酷評されてしまいます。
当時の批評家たちは、アングルが誤ってこんな伸びた人物の絵を描いたのだと思っていました。
ドミニク・アングル《「グランド・オダリスク」に関する2つの研究》
もちろん現在では、残された習作を見ると、背中と腕の線が長くなるよう線を引き直していることから、故意にゆがめて描いていたことがわかっています。
ドミニク・アングル《「グランド・オダリスク」のための研究》1814年
アングルのこの歪んだ空間表現は、ピカソやマティスなど、後世の画家に大きな影響を与えました。
上のデッサンは、アングルを敬愛していたドガが所有していたものです。
その他のオダリスク
ドミニク・アングル《グランド・オダリスクの頭部》19世紀
ドミニク・アングル《グリザイユのオダリスク》1824〜1834年頃
グリザイユというのは、見ての通りモノクロームで描かれた絵画のことで、灰色か茶色を使うのが一般的です。
油絵の下絵として使われることが多かったのですが、美学的効果としてグリザイユが使われることもありました。
アングルが上の作品を描いた理由はよくわかっていません。