こんにちは!
今回は、ベラスケスが描いたマルガリータ王女をまとめてみました!
特に有名なのが、あの《ラス・メニーナス》ですね。
早速見ていきましょう!
マルガリータ王女
マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャは、スペイン王フェリペ4世の娘です。
フェリペ4世は、マルガリータのことを溺愛。
神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后でもあります。
ちなみにレオポルト1世は叔父さんです…。
3歳
ディエゴ・ベラスケス《ピンクのドレスを着たマルガリータ王女》1654年
手に持っている扇は「高貴さ」のシンボルです。
しゃくれてない
ハプスブルク家といえば、近親婚を繰り返したことによる「しゃくれ顎」で有名ですが、マルガリータは、そこまで影響を受けなかったそう。よかったね。
4歳
ディエゴ・ベラスケスとその工房《マルガリータ王女》1654年
ラヴェル作曲の『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、ラヴェルがルーヴル美術館で見た上のマルガリータ王女の絵からインスピレーションを受けて作曲したといわれています(諸説あり)。
お見合い用の絵
マルガリータ単体のこういった絵って、何のために描いていると思いますか?
実は、お見合い相手に「ウチの娘、こんな感じに美しく育ってるよ〜」と伝えるための絵なんです。(もちろんそれ以外にも、自分のお城に飾る用だったりもします)
昔は、今のように遠いところへ行くには相当時間もかかるし、危険も伴うし、もちろん写真も無いので、絵を送っていたんです。
実際に初めて会うのは、結婚式の日や、実際に相手の城へ嫁入りしたときでした。
なので絵とあまりにも違いすぎて、ショックを受ける人もいたり…(笑)
マルガリータの肖像画は、3歳、5歳、8歳のときのものを、相手に送っています。
5歳
ディエゴ・ベラスケス《白いドレスを着たマルガリータ王女》1656年頃
子供だから子供服を着る…というわけではなく、5歳でも大人と同じ服を着ます。白と銀のボディス(胴衣、コルセットのようなもの)と水平に広がるファージンゲール入りのフランス型のスカートを合わせています。
ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス(女官たち)》1656年
世界3大名画のひとつ《ラス・メニーナス》についての詳しい解説はこちら!
ピカソが描いた《ラス・メニーナス》については、こちら!
8歳
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスのマルガリータ王女》1659年
上の作品は、楕円形に切り取られて発見され、大々的な修理がほどこされて今の形を取り戻しています。
この横に大きく広がった独特の形のスカートは、当時、スペイン宮廷でしか見られない流行遅れのファッションでした。
フランス大使たちが陰で笑っていたと伝えられています。
ディエゴ・ベラスケスまたはフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ《ピンク色のドレスを着たマルガリータ王女》1661年頃
この絵は、ベラスケス作だろうと思われていましたが、現在では、ベラスケスの義理の息子フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソの作品では?といわれています。
叔父さんと結婚
15歳のとき、母親の実弟で11歳年上の聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚します。
王族の人間は他国に嫁いだ場合、もう二度と両親とは会うことができません。
マルガリータはレオポルト1世のことを「叔父上さま」と呼び、
レオポルトは、「グレートル(ドイツ語での愛称)」と呼びました。
2人とも芸術と音楽が好きで、結婚生活は幸福だった…といわれています。
今の感覚でいうと、「ありえない…無理…」って思いますが、
時代背景や、生まれ育った環境が特殊なため、小さい頃から教育という名の洗脳を受けていれば、これを「幸せ」って思えるのかなぁ…いや、かわいそうでしょ…
6年間の結婚生活で、マルガリータは6人の子供を授かりましたが、成長したのは1人だけでした。
血族結婚の弊害で生まれつき体が弱いのに、多くの妊娠を経験し、体がかなり弱っていました。
そして、第6子を出産した直後に亡くなりました。
まだ21歳でした。
彼女は今も、絵画の中で生き続けています。