モネと連作、結婚と経済的成功(モネの生涯21)

こんにちは!

今回は、モネが連作をたくさん描いていた時期について解説します。

早速見ていきましょう!

モネの連作「積みわら」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」

前回のおさらい

モネはゴッホの弟テオ(画商)に絵を売ったり、ロダンと一緒に展覧会を開いたり、マネの絵を守ったりしました。

ゴッホの弟テオがモネの絵を買った?モネとロダンの2人展とは?(モネの生涯20)

2022.08.28

旅行はやめて全集中「積みわら」

クロード・モネ《積みわら、夏の終わり》1891年

40代から晩年にかけてモネは、ひとつのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く「連作」をよく描くようになりました。

モネの連作を超解説!あまりにも革新的だったその作品とは?

2021.07.21

モネ50歳のとき、連作『積みわら』の制作を再びはじめました(48歳のときにはじめた)。

デュラン=リュエルの資金援助を受けて、借地だったジヴェルニーの家と土地を買い取りました。

《積みわら – 午前中、雪の影響》1891年

モネはしばらくの間旅行を諦め、自宅の周りの積みわらを描くことに集中しました。

移ろいゆく光を描いたモネの連作『積みわら』を紹介!

2020.06.05

『積みわら』は、一般的にモネの最初の連作とされており、ブッソ・ヴァラドン商会が翌年モネから1枚3,000フランで3点購入しました。

ピサロは、息子リュシアン・ピサロへの手紙の中で「みんなモネの作品しか欲しがらない。……みんな『日没の積みわら』を欲しがる。……彼が描いたものは全部、4,000フランから6,000フランでアメリカに売られていく」と記しています。

ピサロは、モネの連作を商業主義的だと批判しました。

世間での印象派に対する風当たりが弱まっていく中、モネの顧客や取引先も増え始めていき、経済的な成功に伴い、私生活も充実していきました。

51歳のとき、エルネスト・オシュデが亡くなりました。

デュラン=リュエル画廊で開催された個展に『積みわら』の連作15点を含む22点を出品し、大成功を収めました。

絵を描くために買った「ポプラ並木」

クロード・モネ《陽を浴びるポプラ並木》1891年

『積みわら』に続き、春から秋にかけて、エプト川近くのリメツ沼の岸辺で、『ポプラ並木』の連作23点を制作しました。

モネが木を買ってまで描き続けた連作『ポプラ並木』を紹介!

2020.06.06

やっとアリスと結婚

52歳のとき、事実婚状態を長く続けてきたアリスと正式に結婚しました。

その4日後には義理の娘となったシュザンヌが、ジヴェルニーに移り住んだアメリカ人画家セオドア・アール・バトラーと結婚しました。

最初は2人の結婚に反対だったモネでしたが、バトラー家が資産家だとわかると態度を変え結婚を許しました。

悪夢にうなされながら描いた「ルーアン大聖堂」

クロード・モネ《ルーアン大聖堂、ファサード(日没)》1892年

ルーアン大聖堂を訪れ、西側正面の建物の中にイーゼルを置き、『ルーアン大聖堂』の連作に着手しました(こちらは33点)。

モネ「ルーアン大聖堂」30点全て紹介!悪夢にうなされながら描いた絵

2022.09.09

デュラン=リュエル画廊で開催された個展で『ポプラ並木』の連作を15点ほど発表しました。

『ポプラ並木』連作は、『積みわら』連作の3倍以上の高値で売れました。

次回は、モネ、自宅の庭に睡蓮の池をつくるの巻です。

続きはこちら↓

モネの睡蓮の池に日本風の橋があるのはなぜ?(モネの生涯22)

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モネの生涯をノンストップ解説↓

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