モネの連作を超解説!あまりにも革新的だったその作品とは?

こんにちは!

今回は、モネの連作について解説します。

早速見ていきましょう!

モネと連作

奇跡の連作

40代から晩年にかけて、モネは連作を描くようになります。

特に、40代〜50代のときは、早朝にセーヌ川、ポプラ並木、ルーアン大聖堂、ウェストミンスター宮殿、睡蓮などの連作を描いていたので、夜明け前に起床(午前3時…)が日課だったそう。

時間が変わるとの見え方が変わるので、キャンバスを交換し、1日に10〜12枚同時進行で制作することもありました。

また、モネは「何かが欠けている」と、気に入らない絵は破棄してしまうので、ロンドンの風景を描いた連作を破棄したり、睡蓮の連作もかなりの数を破棄してしまったそう。

それでも睡蓮250点以上現存しているので、本当は一体何枚描いてたの…。

それまでの連作といえば…

有名な連作といえば、ルーヴル美術館に展示されてるルーベンスの4枚の連作「マリー・ド・メディシスの生涯」ですが、この連作は、神話や寓意を駆使しながらマリー・ド・メディシスの半生を辿った一代記です。

というように、通常「連作」といえば、「物語性」のある作品でした。

それに対し、モネの連作は、主題ではなくひとつの対象を違った時間や天候の下で観察し、何枚ものカンヴァスをそばに置き、そのときの自分の見た微妙な視差の印象を忠実にそれぞれに描きだしました。

これは、何をではなく、どのように描くかを探究する、近代絵画的制作アプローチとしても、画期的で斬新なアイデアでもありました。

モネの連作は、1869年の《ラ・グルヌイエール》で ルノワールとともに生み出した色彩分割法を、よりいっそう発展させたものでした。

富嶽三十六景の影響

また、モネが浮世絵を収集していたことから、モネの連作は葛飾北斎のさまざまな場所から四季折々の富士山を望んだ「富嶽三十六景」(1823~33年)からの影響と見なされることがあります。

モネは異文化の美術から着想を得ても、表層的な異国趣味だけで終わらせずにエッセンスを吸収して活用しました。

モネ が浮世絵から受けた影響は、作品によっては左右非対称や縦長の構図、または描く対象の全体を描かず部分を省略して描いたところなどに表れています。

「積みわら」以降も連作の対象は、ジヴェルニーのポプラ並木や早朝のセーヌ川、ルーアン大聖堂やノルウェーのコルサース山、そしてロンドンのテムズ川や国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)へと引き継がれていき、それらは高額で取引されていきました。

『積みわら』25連作

クロード・モネ《積みわら、夏の終わり》1891年

連作「積みわら」は、モネのアメリカでの人気を決定づけました。

1891年5月にバリのデュラン=リュエル画廊でこの連作が展示されると大評判となり、高額で取引されてアメリカへ運ばれていきました。

この連作とアメリカでのモネ人気により、1890年代に入るとモネは経済的な成功を収めることができました。

そして以後、彼は数々の連作に取り組んでいくことになります。

『ポプラ並木』23連作

クロード・モネ《陽を浴びるポプラ並木》1891年

『ルーアン大聖堂』33連作

クロード・モネ《ルーアン大聖堂、ファサード(日没)》1892年

『睡蓮』約250連作

クロード・モネ《睡蓮》1916年

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2020.06.09