ピカソ「アヴィニョンの娘たち」は娼婦を描いた絵?解説!

こんにちは!

今回は、ピカソの代表作《アヴィニョンの娘たち》を解説します。

早速見ていきましょう!

アヴィニョンの娘たち

パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》1907年

26歳のとき、100枚以上のデッサンを描いて完成させた作品です。

インスピレーションの源は娼館

タイトルにある「アヴィニョン」というのはバルセロナの通りの名で、この下町に並ぶ娼館の記憶からインスピレーションを受け、この作品を描いています。

仮面のような顔

 

仮面のような顔の女性がいます。

下にいる女性は、背中を向けているのに、顔は正面を向いています。

ピカソは、アフリカオセアニアなどの原始美術から影響を受け、仮面のような顔を描いたそう。

マティスの絵に感化されて

友人のマティスが描いた《生きる喜び》という色彩が爆発した作品を見て衝撃を受け、自分もなにか革新的な作品を作り出そうと模索し、キュビスムという技法を生み出しました。

キュビスムというのは、モノを多方面から見て幾何学的にとらえ、平面上に合成したものです。

《アヴィニョンの娘たち》はそのキュビスム最初の作品とされ、現在では高い評価を得ています。

不評で10年間放置

この絵を見てわかるように、女性を美しく描こうとしていませんよね。写実的ではありません。

このことから、当初、画家仲間たちですら、画面の奥行きや物語性のないこの絵の斬新さを理解できなかったそう。

周りから不評だったことがショックだったのか、この絵は裏返しの状態でアトリエに10年以上放置されていました。

後に、20世紀絵画の始まりの絵として評価され、ニューヨーク近代美術館に収蔵されました。

習作

ピカソは当初、娼婦だけでなく客や花、果物かごやドクロなどを描いていました。

これらを描くことによって、現世の快楽は、やがて終わりを迎えるはかないものだという意味を作品に込めようとしていました。

しかし、完成作を見てわかるように、モノに意味を持たせるのではなくて、造形の新しさを追求する方に向かっていったことがわかります。

そんな習作の一部を紹介します!

《2人のヌード》1906年

《立っている裸婦:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1906年

《頭部:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1906年

《座っている裸婦:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1906-1907年

《腕を上げ後ろ姿で立っている裸婦:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《腕を上げ後ろ姿で立っている裸婦:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《腕を上げ立っている裸婦:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《男の胸像:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《女性または船乗りの胸像:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《手を組んだ女性:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《胸像:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《女性の胸像:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《医学生:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《医学生:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《医学生の頭部:「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年

《「アヴィニョンの娘たち」の研究》1907年