ゴッホを殺したのは誰?自殺説vs他殺説

こんにちは!

今回は、ゴッホの死についての前回の続きです。

早速見ていきましょう!

ゴッホを殺したのは誰?

自殺説vs他殺説

ゴッホはオーヴェルの麦畑付近で拳銃を用いて自殺を図ったとするのが定説ですが、現場を目撃した者がいないこと、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあること、弾が体の中に残っているのある程度遠くから撃った証拠だ(自分で撃ったら貫通するはず)という主張もあります。

傷口に紫の輪があることが、至近距離で撃った(自分で撃った)証拠だといわれていますが、遠くから撃っても皮下出血でこうなることがあるらしく、これだけで特定はできないそう。

さらに、自殺前に大量の絵の具を注文していたことや、ゴッホが自殺したとされる場所には、ゴッホのイーゼルやキャンバス、絵筆などは残っていませんでした(もちろん重症のゴッホが持って帰ってきたわけではない)。

本当に死にたかったのなら、腹部ではなく、確実に死ねるように、心臓、こめかみ、銃を口にくわえて撃つはずで、1度で死ねなくてもなぜもう1発撃ってその場で死ななかったのか、なぜ約1キロも離れたところにあるラヴー亭まで歩いて帰ってきたのかなど、自殺にしては不可解な点が多く、いまだに議論が続いています。

悪ガキのルネ少年

フィンセント・ファン・ゴッホ《少年のスケッチ》1890年

2011年にゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、地元の少年達との小競り合いの末に、ルネが持っていた銃が暴発し、ゴッホを誤射してしまい、当時、「死を歓迎」していたゴッホは、自殺ということにして、ルネをかばったのではないかという説を唱えました。

ゴッホは、裕福な家の子だった16歳のルネとガストンのスクレタ兄弟と知り合いでした。

兄のガストンは画家を目指しており、ゴッホから話を聞くのが大好きで、彼のことを慕っていました。

一方、悪ガキのルネは、バッファロー・ビルという西部劇のガンマンに憧れ、カウボーイハットをかぶり、フリンジ付きのジャケットを着て、よく誤発射する古い本物の銃を振り回し、リスを撃ったりと、町中をうろついていました。

2017年の映画『ゴッホ 最期の手紙』では、上の絵がルネ・スクレタの肖像ということになっていました。(事実かは不明)

ルネとその仲間は、ゴッホのコーヒーに塩を入れて彼を苦しめたり、絵の具箱に蛇を入れて驚かせたりしました。

また、彼らは、ゴッホが考えているときに絵筆を口にくわえる癖があることに気付き、絵筆に唐辛子をつけて、ゴッホが驚き苦しむ姿を見て喜んでいました。

ゴッホの死の当日、ゴッホとルネが一緒にいるところを目撃したとも、スクレタ家の別荘へ行く道をゴッホが歩いていたのを目撃したと主張する人もいましたが、人の記憶は頼りなく、真相はわからないまま…。

ルネが死の直前に受けたインタビューでは、ゴッホをからかったことは認め、持っていた銃をゴッホに盗まれたと言い、そもそもゴッホが自殺した日の数日前にオーヴェルを去った(事実か微妙)と主張し、発砲に関しては何も語りませんでした。

ゴッホの傷の特徴に着目すると、弾は通常ではない斜めの角度から人体に入っていて、「至近距離ではなく、身体からある程度距離のあるところから」撃たれたと考えることもできます。

行方不明だったゴッホの銃が見つかる

Lefaucheux revolver which is likely to have killed Van Gogh, sold today by AuctionArt Rémy le Fur & Associés © Martin Bailey

出典:The Art Newspaper『Van Gogh’s gun, ‘most famous weapon in art history’, sells for €162,500』

1950年代、シャトー・ドーヴェルの背後にある野原の地中から、錆びた拳銃が発見されました。

ここは、ゴッホが銃で自殺したといわれている辺りでした。

調査の結果、発見された深さの土は60年から80年前のものということがわかっています。

ルイ・ヴァン・リッセル(ガシェ医師の息子の仮名)《オーヴェル、フィンセントが自殺した場所》1904年

そこは、ガシェ博士の息子が、ゴッホの死から14年後に絵を描いた場所でした。

銃は、この絵の中央に描かれている干し草の山の後ろの畑を耕しているとき、農民によって発見されました。

銃が発見されたことによって、他殺より自殺説が有力になりました。

他殺だとしたら、その場に銃を放置せず、別の場所へ捨てるか埋めるか隠すはずだからです。

ゴッホ自信が引き金を引いたのだとすれば、手から銃を落としたことも理解でき、発見まで70年経過しても地面にかなり近い深さにあったことの説明がつきます。

どうしてこの銃がゴッホのものだといえるのかというと、銃の型式、ゴッホの銃創と口径の一致、発見場所と状況から判断できます。(もちろん断定はできないので、あくまでも「ほぼ」間違いなく)

2019年にはオークションで162,500ユーロで落札され、「美術史上最も有名な武器」といわれました。