点描を生み出した画家スーラを超解説!

こんにちは!

今回は、スーラについてです。

早速見ていきましょう!

ジョルジュ・スーラ(1859-1891年)

ジョルジュ・スーラ《グラヴリーヌの運河、プティ=フォール=フィリップ》1890年

ジョルジュ・スーラはフランスの新印象派の画家です。

パリの裕福な家に生まれ、兄や姉と10歳以上年が離れていたためか、母親が大好きでした。(マザコン)

16歳のときにデッサン教室に通い始めます。

19歳でエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学します。

アングルの弟子レーマンが先生でした。

色や光でしょ

ジョルジュ・スーラ《セーヌ川の眺め》1882-1883年

1879年第4回印象派展を見て、アングルのような古典的な技法より、「大事なのは色と光だ〜!」となります。

そこから色彩の技法について本を読み、もう絵を描くことより、どうすれば効果的に色や光を表現できるのかについての研究に没頭します。研究者です。

お母さんの近くで

友人たちとアトリエを借りてみたかと思いきや、やっぱりお母さんの近くがいい!ということで、1人実家近くにアトリエをつくります。

シニャックとの出会い

ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》1884年

25歳で「サロン」に出展するも、保守的な展覧会なので、スーラの前衛的すぎる絵画は落選。

友人となるシニャックと出会い、誰でも出品可能なアンデパンダン展を設立し、そこに出した大作です。

夏って、景色が白っぽく見えるときあるじゃないですか?

あれを絵画で再現しているのが、このスーラの絵なんです。すごくないですか?

右上はグランド・ジャット島です。この後登場する絵に繋がります。

最後の印象派展

ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》1884-1886年

1886年、最後の印象派展にこの作品を出し、大評判。

スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を超解説!絵の中に隠された意味とは?全部点で描いた?

2020.05.02

この頃には、モネやルノワールなどは、方向性の違いから出品しなくなっていました。

美術評論家のフェネオンが雑誌「ヴォーグ」でスーラのこの作品を大絶賛、記事内で「新印象派」という言葉を使ったのが始まりでした。(シニャックはフェネオンの肖像画を描いています。こちら

色は、混ぜれば混ぜるほど暗くなります。

そこでスーラは「混ぜなければいいんだ!」となり、色を明るくするために点描で描きました。

点描も発表当初は、「ハエのように汚らしい染み」などと酷評されました。

実物ができる前に描いちゃった

ジョルジュ・スーラ《エッフェル塔》1889年

今となっては、エッフェル塔はパリの人気スポットですが、あまりにも奇抜すぎると当時は激しい論議の的になっていました

1889年パリ万博の目玉として計画が浮上した段階でも、建設中においてもなお、「醜い塔はパリの恥」と反対する知識人が少なからずいました。

デュマ・フィス、モーパッサン、ガルニエ(オペラ座をつくった建築家)などなど。

特にモーパッサンは、エッフェル塔を見なくてすむ場所はここだけだからと、わざわざエッフェル塔内のレストランへ通ったと言われるほどです。

印象派が意外にエッフェル塔を描いていないのも、同時代人としてこの鉄塔への価値付けが難しかったからかもしれません

ですが、スーラは違います。

こういう科学の力!!!みたいなのが好きそう〜

むしろ完成を楽しみにしていたんでしょうね。

待ちきれなくて、完成前のエッフェル塔を絵に残しています。

左側のもわ〜っとなっているのは前面に木でもあるのかな。

実は恋人と子供がいました(みんなびっくり)

ジョルジュ・スーラ《化粧する若い女》1888-1890年

スーラは寡黙で秘密主義だったため、私生活について他人に語ることはありませんでした。

スーラの母親でさえ、スーラが死ぬ2日前恋人と子供のことを知ります。

この絵に描かれているのが、秘密の恋人マドレーヌです。

お金持ちの家の息子で、画家だけどいつもきちんとした服を着た上品な雰囲気のスーラが、貧しい下町の娘と極秘で付き合っていたなんて、『花より男子』じゃあるまいし…(笑)

マドレーヌが手に持っているパフを中心として、背景がを巻いています。

戦隊モノの変身シーン的躍動感が生まれる描き方ですね。

背景にある鏡には花瓶が映っていますが、元々は自画像を描いていたと考えられています。

友人の助言で変えたそう。顔の方が絶対面白い絵になっていたと思うのにな…

ジョルジュ・スーラ《シャユー》1889-1890年

「シャユー」とは「カンカン」のことで、ダンスの一種です。

不思議な絶筆

ジョルジュ・スーラ《サーカス》1891年

白・赤・黄・青で画面が構成されています。

ちなみに絵の周りにある枠も自分で描いています。額縁ではないんです!(こだわり)

この作品がスーラの絶筆となった作品ですが、不思議なところがあります。

それは…

あの几帳面なスーラがなぜか未完成のまま、この作品をアンデパンダン展に出品したんです!

いつも鬼のような集中力で細か〜く描く、完璧主義なのに??

どうしたんだろ?って当時の人も思ったはず。

ですが、それどころではなくなります。

出品して数日後、スーラは風邪をこじらせて髄膜炎により(諸説あり)、急死

31年というあまりにも短い生涯でした。

そして、スーラの生み出した点描などの技法は、シニャックへと引き継がれていきます。

まとめ

スーラは、光学理論を絵画に応用し、点描法で描いた画家