モネに感動して画家になったシニャックを超解説!ゴッホとも仲が良かった?

こんにちは!

今回は、私が一番好きな画家、ポール・シニャックをご紹介します!!

絵が可愛くって大好きなんです〜!

早速見ていきましょう!

ポール・シニャック(1863-1935年)


ポール・シニャック《朝食(ダイニングルーム)》1886-1887年

ポール・シニャックはフランスの新印象派の画家です。

パリの裕福な商家に生まれ、陽気でおしゃべり、社交的な性格でした。

セーリングが大好きで、小さなボートでフランスのほぼ全ての港、オランダ、地中海をめぐり、その港の絵を描きました。(初マイボートは15歳)

勝ち組のリア充感あるな…

上の絵は、シニャック初期の点描画です。

座っているモデルは、シニャックの祖父です。立っているのは家政婦です。

モネすごい…

ポール・シニャック《ジュヌヴィリエへの道》1883年

最初は建築について学んでいましたが、18歳のときに見たモネの絵に感動して画家になることを決意します。

その後、ヨーロッパの海岸をめぐり、そこで見たものを描きました。

後年、フランスの港町シリーズを水彩で描くことに。

この絵なんか雰囲気がモネっぽいですね〜

スーラすごい…!!!

ポール・シニャック《Cassis, Cap Lombard, Opus 196》1889年

20代初め、モネやスーラと出会います。

特にスーラ点描色彩理論に衝撃を受けたシニャックは、スーラ信者となります。

シニャックはスーラの友達であり、良き理解者であり、1番の支持者でした。

スーラが31歳という若さで亡くなってしまったこともあり、スーラから始まった点描や色彩理論を発展させていったのはシニャックでした。

それらの理論をまとめた『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』を1899年に刊行しています。

モネよりスーラなの??

ポール・シニャック《View of the Seine at Herblay》1889年

モネの絵に影響を受けて画家になった割には、スーラ!スーラ!スーラ!って感じですが、ちゃんとモネも好きです。

シニャックはモネの暖かい色彩が大好きでした。

スーラ存命中は、スーラがクールな色彩を好んでいたため、スーラ信者としては教祖と同じ感じの色味を使わなきゃなぁ〜って気持ちがあったのでしょう。

スーラ死後は、モネのような暖かな色彩を使うようになります。

ポール・シニャック《サン=トロぺの港》1901-1902年

こんな感じで最高にハッピーな色彩で描くようになります。

この絵はなんと!上野の国立西洋美術館で見ることができます!!

私が一番好きな絵です!!!

誰でも出品OKな展覧会を作った

ポール・シニャック《七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像》1890年

当時は、エリートのためのエリートによる、エリートな展覧会を「サロン」と呼んでいました。

その展覧会では、古典的な画風を好み、審査をする側も頭が古典なので、古典的な絵以外は受け付けないよ〜というお高い雰囲気がありました。

なので、印象派など、新しい描き方を模索していた画家たちは自分たちで展覧会を開いて、世の中にアピールしていくしかありませんでした。

その中の一つ、「アンデパンダン展」を設立したのがシニャックやスーラ、ルドンたちでした。

アンデパンダン展はサロンとは違って審査がなく、会費を払えば誰でも展示することができました。

これが大盛り上がり、以降30年続きました。

シニャックは20年以上アンデパンダン展の会長を務め、前衛的な若手芸術家たちを高く評価し、支援しました。

上の絵はアンデパンダン展に出した絵で、フェリックス・フェネオンは「新印象主義」という呼び名を付けた美術評論家です。

シニャックたち新印象派を熱烈に応援していました。

ゴッホと仲良くできる

ポール・シニャック《Quay at Clichy》1887年

これは本当に温厚でいい人だったんだろうなと思わせるエピゾードですが、シニャックはなんとあの気難しすぎるこじらせ系の画家ゴッホと仲が良かったんです。

22、3歳のときにパリでゴッホと出会い、一緒に絵を描きに出かけたりしています。

ゴッホから「黄色い家」に来ないかと言われたときは断っていますが、耳切り事件後にはお見舞いに行っています。

奥さんは描いておこう

ポール・シニャック《日傘の女》1893年

シニャックの奥さんは、友人の画家カミーユ・ピサロの遠いいとこのバーサ・ロブレスです。

この絵が描かれる数ヶ月前に2人は結婚しました。

シニャックは肖像画をほとんど描きませんでしたが、新婚ということもあり、この瞬間の奥さんを絵として残しておきたいって思ったのかもしれませんね。

それにしてもすごい

孫娘はオルセー美術館の設立メンバー

 

シニャックの孫娘フランソワーズ・カシャンは美術史家で、オルセー美術館長フランス美術館総局長を務めました。

その偉大な功績から、オルセー美術館の2階には「ギャラリー・フランソワーズ・カシャン」と名付けられた、新印象派の作品が飾られている展示室があります。

マティスの絵を最初に購入した

アンリ・マティス《豪奢、静寂、逸楽》1904年

マティスの絵を最初購入したのはシニャックでした。

マティスも最初は新印象派の影響を受けて、そしてシニャック作の『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』を読んで、その技法を実践していました。

アンデパンダン展に出品したこの作品をシニャックは購入しています。

まとめ

シニャック新印象派の画家でスーラ信者
・アンデパンダン展という誰でも絵を出品できる展覧会を作った
・孫娘はオルセー美術館の設立メンバーの1人