こんにちは!
今回は、ゴッホの《アルルの部屋》を解説します。
早速見ていきましょう!
目次
アルルの部屋(アルルの寝室)
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ《黄色い家》1888年
アルルにある「黄色い家」の自分の寝室の部屋を描いた作品です。
赤い丸の部分がゴッホの部屋です。
ゴッホは《アルルの部屋》について、「安息と眠りとを暗示するものでなければならない」と語っています。
ゆがんだように見える違和感の正体
アルルの「黄色い家」1階の図面 1930年代 右上の部屋(2階)がゴッホの寝室
この絵、よく見てると壁が変だな〜と思うと思うのですが、ゴッホの描き方の問題ではなく、実際に曲がっていることが上の図面からわかります。
住みにくそうな形してるなぁ…。
出典:Van Gogh Museum, Amsterdam『Japanese influence The Bedroom』
この絵を線だけで簡略化したものです。
出典:Van Gogh Museum, Amsterdam『Japanese influence The Bedroom』
こうすると、部屋の形がよくわかります。
影がないのは日本の影響
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1888年
浮世絵の影響を受け、明るく影のない平坦な色調になっています。
浮世絵の、前景はとても大きく、後景は小さく描く手法を気に入ったゴッホは、この絵でも、ベッドの脚を大きく誇張して描くことで印象に残る作品に仕上げています。
さらにひとつひとつのものがよく見えるように、広角レンズのような平面的な描き方をしています。
日本に憧れていたゴッホは、「日本人はとてもシンプルな部屋に住んでいる」から、自分の部屋もシンプルに、と考えた結果がこの絵でした。
まぁ…そこまでシンプルではないですよね。でもこれがゴッホ的日本のようなシンプルな部屋だったんです。
一種の自画像
ゴーギャンを待ちわびているゴッホの心情を表すかのように、部屋に置かれたオブジェのほとんどが2つで1つのペアになっています。
椅子に至っては同じものを12脚購入しています。
ゴッホは後に《ゴーギャンの椅子》と《ゴッホの椅子》を描きますが、それらの絵と同じく、モノを描くことによって「その人の不在」を表していると考えることもできます。
どういうことかというと、今回の絵の場合では、誰もいない部屋を描くことによって、ゴッホと、さらにはゴーギャンの存在を表しており、一種の自画像と考えることもできます。
ちなみに絵の左側の扉は、ゴーギャンの部屋につながっていました。
紫色の壁だった?
ゴッホは、この絵について弟テオに「壁は淡い紫」と手紙に書いています。
ですがどう見ても水色ですよね?これ実は…
当初は本当に紫色だったんです!
経年劣化による変色で水色に変わってしまっているだけなんです。
床も「赤いタイル」だと書いてあるように、実際はもっと赤かったんです。
ゴッホは、緑の窓枠と赤いベットカバー、黄色のベッドと紫のドアと、色を対比させています。
補色の関係にある色同士を組み合わせることによって、お互いの色を引き立たせて印象的な作品に仕上げています。
第1バージョン ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1888年
ゴーギャンがアルルの「黄色い家」に来る1週間前に描いた作品です。
壁の絵は…
フィンセント・ファン・ゴッホ《ウジェーヌ・ボックの肖像》1888年
ゴッホの友人だったウジェーヌ・ボックはベルギーの画家で、ゴッホとは作品の交換をしていました。
彼の姉アンナ・ボックも画家で、ゴッホについてよく言われる「ゴッホの絵で生前に売れたのは1枚だけ」のその1枚、《赤い葡萄畑》を買ったのは彼女です。(余談ですが、ゴッホが生前に売れたのは1枚だけというのは厳密には嘘です)
フィンセント・ファン・ゴッホ《ミリエ少尉の肖像(恋する男)》1888年
ミリエは、フランス軍のアルジェリア人を中心に構成された歩兵隊「ズアーヴ兵」の少尉で、フランス領インドシナへの派遣の後に、アルルの兵舎に入りました。
ミリエ少尉自身も絵を描き、アルルでのゴッホの散歩仲間であり、共に飲みあかす仲でもありました。
女性に奥手だったゴッホは、愛らしくも時には羽目をはずしがちなミリエを気に入っていました。
ゴッホが恋人の典型として描いたのがこの作品で、右上に描かれた星と三日月は、ミリエの部隊の紋章です。
第2バージョン シカゴ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1889年
第2、3バージョンは、サン=レミの診察所に入院していたときに複製したものです。
なぜ複製したかというと、アルルの病院に入院していたときに起こったローヌ川の洪水によって、「黄色い家」に置いてあった作品が損傷してしまったからです。
そもそもアルルの病院に入院する必要がなかったのに、無理やり入院させられたことや、大事な作品が損傷したことに対する苛立ちからか、塗りが荒くなっています。(特に床)
第2バージョンから、壁にかけてある絵が自画像と女性の絵に変わっています。
自画像の隣に女性像をかけたのは、自分が実現できなかった今とは違う人生を表しているのかもしれません。
第3バージョン オルセー美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》1889年
母親と妹のウィルに贈る用に作った作品なので、第2バージョンのような荒々しさはなく、穏やかな仕上がりになっています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ひげのない自画像》1889年
ゴッホは数多くの自画像を描きましたが、これが最後の作品だとされています。
母親への誕生日プレゼントとして贈った作品でした。
右の女性の絵はどの作品かわかっていません。