こんにちは!
今回は、マネの《鉄道》についてです。
早速見ていきましょう!
鉄道
エドゥアール・マネ《鉄道》1873年
マネが41歳のときにサロンに出品し、不評だった作品です。
なぜ不評だったかというと、母子の絵といえば愛情にあふれたものを描くのが一般的だったところを、マネは母子の間に流れる微妙な雰囲気、冷たさを描き出したからです。
また、この作品には、いくつかの謎があることでも知られています。
子に興味のない母
膝の仔犬が眠りこみ、子どもは退屈そうに眼下の汽車を眺めています。
つまり母親はそれほどにも長く、読書に没頭していたことがわかります。(子犬の横にある赤いものは扇子)
そしてふっと目を上げ、こちら(鑑賞者)を見た瞬間が描かれています。
そもそもこの2人が親子なのか、家庭教師と教え子なのか、関係が曖昧です。
母親の黒いチョーカーと、娘の黒いヘアリボンが2人を結びつけています。
モリゾ《ゆりかご》では、母子でさりげなく同じポーズをさせることで親密さを演出していましたが、マネのこの絵の場合は、親密さではなく親子の離れたくても離れられない鎖…のような閉塞感が伝わってくるようにも思えます。
また、母子の見る方向が180度違うことや、母子の間に細やかな愛情が感じられないことが観衆に違和感を与えました。
母親が見ているものはキャンバスの手前にあるために鑑賞者には見えず、少女が見ているものも絵の向こうにあって鑑賞者に見えないことから、「いわば鑑賞者に、見えるはずだと感じるもの、しかし絵の中には描かれていないものを見るためにキャンヴァスの周りを回り、場所を移動したいという欲求を持たせる」という「不可視性の戯れ」をマネが行っているのでは?ともいわれています。
風刺漫画家たちは、母子が不幸な表情をしていると指摘しました。
「2人の心を病んだ女が通り過ぎる列車を監禁室の鉄柵越しに眺めている」(1874年6月13日『ジュルナル・アミュザン』)という評もありました。
しかし、現在では、近代社会における母子の間に流れる冷たさこそ、マネが表現しようとしたものでは?といわれています。
プロのモデル
彼女はマネのお気に入りのモデルだったヴィクトリーヌ・ムーランです。
マネの《草上の昼食》や《オランピア》のモデルを務めたのも彼女です。
彼女はプロのモデルでしたが売春婦といわれていました。
というのも、当時、モデルは裸にもなることから(こちらは芸術作品のためですが)、売春婦もほとんど同じと考えられていたからです。
後年、彼女自身も画家になり、サロンに入選したこともありました。
退屈している娘
母親の暖かそうな服装に比べ、娘はかなり薄着で寒そうに感じられます。
鉄道は描かれていない
当時、鉄道ブームのさなかだったこともあり、鉄道は近代都市パリを象徴する新しいテーマとなりました。
しかし、絵のタイトルは《鉄道》なのに、絵の中に汽車は描かれていません。
その代わりに、白い蒸気が汽車の存在を暗示しています。
鉄柵の向こうには、モネが連作を描いたサン・ラザール駅とヨーロッパ橋があります。
当時マネは、サン=ラザール駅のすぐ近くにアトリエを借りていました。
不自然なブドウ
こんなところに謎のブドウがあります。
ブドウには「豊かな実り」という意味があることから、科学文明の実りである鉄道を指しているのかもしれませんが、この絵では、なぜか鉄柵の手前に何の脈絡もなく置かれています。
そのためこの絵は、西洋絵画でよく描かれた「五感の寓意」を表しているという説があります。
汽車を見る少女の視線が視覚、汽車の音が聴覚、鉄柵を握る手が触覚、煙が嗅覚、ぶどうが味覚にあたるというわけです。