ホッベマ「ミッデルハルニスの並木道」を超解説!いつの間にか散歩している?

こんにちは!

今回は、ホッベマの《ミッデルハルニスの並木道》についてです。

早速見ていきましょう!

ミッデルハルニスの並木道

メインデルト・ホッベマ《ミッデルハルニスの並木道》1689年

オランダの南ホラント州にあるオーベルフラッケー島にあるミッデルハルニスという土地の風景を描いた作品です。

17世紀当時、そこは小さな村でした。

風景画の名作

日本画とは違い、西洋では風景画というジャンルが確立したのはかなり遅く、風景は背景でしかありませんでした。

独立した主題の風景画は、17世紀オランダ黄金時代に流行し、本作は、その代表的作品です。

遠近法のお手本

 

画面の中央を田舎道がまっすぐに地平線に向かって延びています。

 

道は、ぬかるんでおり、轍の跡がいくつもの筋となって刻まれています。

 

道の左右に、背の高いひょろひょろしたポプラの木々が立ち並んでいます。

本作は、シンメトリーの構図で描かれており、遠近図法のお手本のような作品です。

 

空の高いところには、鳥が描かれています。

いつのまにか散歩している

 

画面前景の両側がやや暗めに描かれているために、鑑賞者の視線は、自然に中央の田舎道を奥へとたどり、描き出された風景の中に入り込み、地平線上に描かれた村落へと行き着くことになります。

 

銃を肩に乗せた狩人が、犬を連れてこちらに歩いてきています。

狩人の頭部が、遠近法における消失点と一致しているため、鑑賞者は、狩人といずれすれ違うのではないかと思わせるような面白いトリックが使われています。

そう、いつの間にか、この絵の鑑賞者は、この絵の中の並木道を散歩しているのです。

 

道の途中に曲がり道があり、その先にカップルがいます。

 

そのカップルがいる方の道に行きたそうな犬を描くことで、鑑賞者の視線に遊びが生まれます。

 

前景に描かれたポプラの木と奥のポプラの木では、高さがかなり大きく異なっているため、一段と高い塔をもつ教会のある村までは、見た目以上の距離があるようにみえます。

実際にある風景

ほとんど作品の通りに、実際の景観が現存しています。

地理的に正確であり、実際にホッベマが見た風景が描かれているということがわかります。

塗りつぶされた木

もともと前景には木がもう2本、道の両サイドに1本ずつ描かれていましたが、2本とも塗りつぶされたことが、X線を使った調査によってわかっています。

オランダ人の誇り

ホッベマが生まれ育ったオランダという国を物語る言葉に、「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が作った」というものがあります。

国土のおよそ25パーセントが海抜ゼロメートル地帯に存在するオランダは、水を制するために戦い続けてきました。

堤防を建設し、運河を整備して、干拓を繰り返しながら、国土を広げ、保全してきました。

ホッベマが描き出す風景は、オランダ人自らが排水して、入手した土地、すなわち干拓地のものです。

かつて並木道は王様の私道だった

並木道にある木々は人の手によって植えられ、道はまっすぐに延びており、整然とした区画が隣り合って続いています。

かつて並木道は、王侯貴族の特別な私道でした。

見た目に美しく、木陰が涼しさを提供しました。

多くは城内の庭園に造られましたが、城外の場合は城門や私的礼拝堂などに直接つなげ、庶民を遮断し、選ばれた者しか通ることを許しませんでした。

並木道の存在理由

しかしこの絵にあるような並木道の建設は市町村が公的事業として行ない、特権階級専用ではなく、国民全てに開放されました。

とうぜん樹木の役割も荘重さの演出ではありません。

さらにいうと日陰を作るためですらありませんでした。

 

日陰のためであるなら、ポプラの葉は繁らせておくべきなのに、わざわざ刈り込まれています。

 

理由の一つとしては、地面に根を張らせ、地盤を強固にするためです。

もう一つは、木を有効活用するためです。

画面右にポプラの苗床があり、男が判定中です。

 

畑の奥は幼いポプラ 、男が刈っているのは人の背丈の高さ、これがまもなく並木の高い成木となります。

 

左側には、さらに成長した木があります。

交配が容易で成長も早いこの木の、梢部分のみ葉をこんもり残し、苗木のうちに形を整え下枝を払ってしまいます。

こうして切り落とした枝や葉は肥料や燃料、そしてオランダ名物の木靴の材料にもなりました。

湿気の多い土地なので、革や布より、木靴の方が向いていました。

というのも、木靴だと中まで濡れることもなく、むしろ下部は濡れると木が膨張して冷えが緩和され、さらにポプラ製だと軽くて弾力性もありました。

自分たちがつくり上げた土地、そして国家への抑えきれない誇りの念が、本作には込められています。