こんにちは!
今回は、ジョットが描いたスクロヴェーニ礼拝堂の壁画についてです。
早速見ていきましょう!
スクロヴェーニ礼拝堂
スクロヴェーニ礼拝堂は、イタリアのパドヴァの古代ローマの競技場跡に建てられた礼拝堂です。
ジョットが描いた一連のフレスコ絵画が有名です。
罪滅ぼしのために作った礼拝堂
この礼拝堂は、高利貸で財産を築いた一族出身のエンリコ・デッリ・スクロヴェーニがパトロンとなって創設されました。
当時、過剰に利子を取る高利貸はキリスト教の秘跡を受けられなくなるほどの重大な罪とされ、初期の銀行業者は自分の商売のゆえの魂の地獄堕ちについて気にかけていました。
エンリコが私財を投じて礼拝堂を建設したのは、父親の罪と、自身の免罪とを意図したものだったと考えられています。
エンリコの父レジナルドは、神曲の中でダンテが出会う高利貸として書かれる人物です。
近年の研究ではエンリコも高利貸であり、贖罪のために礼拝堂を建設したともいわれています。
エンリコの墓は礼拝堂の後陣(アプス)にあり、《最後の審判》の部分で礼拝堂をマリアに祈り捧げている人物として肖像画が描かれています。
役割
スクロヴェーニ礼拝堂は表向きはスクロヴェーニ一族のための小礼拝堂でしたが、受胎告知の祝祭に関する公的役割の機能も持った施設でした。
礼拝堂が建てられた場所は、それまでおよそ30年間に渡って行列祈祷式が行われ、受胎告知を題材とした演劇が上演されてきた場所でした。
ジョットの壁画
礼拝堂は、受胎告知と聖母マリアの慈愛に捧げられており、ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描き、人類の救済におけるマリアの果たす役割を祝福するものになっています。
壁画は、聖母マリアとその父ヨアキムの生涯、そしてイエス・キリストの物語が螺旋を描くようにぐるぐると描かれています。
四面全ての壁に、上中下の三段に分割されたフレスコ壁画と、2メートル四方の装飾画がそれぞれ描かれています。
ジョットは各絵画の間には人工的な彩色大理石と小さなくぼみを配して場面を分割しています。
礼拝堂壁面に描かれた一連の絵画は感情表現、立体的な人物像、自然な空間描写で特筆すべきものになっており、特にキリストを処刑に追いやる裏切りの第一歩となった《ユダの接吻》が有名です。
豪華すぎて苦情がきた
ジョットが描いたフレスコ画は別として、スクロヴェーニ礼拝堂には装飾がほとんどなく、円天井が採用されている程度です。
とはいえ、その壁画があまりにも美しく、家族礼拝堂の域を越えて、ものすごく豪華だったため、近くの修道院から苦情が来たとの記録が残っています。
ジョットのフレスコ画
上段、南壁
神殿から追われるヨアキム
羊飼いに身を寄せるヨアキム
アンナへの受胎告知
神に子羊を捧げるヨアキム
ヨアキムの夢
黄金門の出会い
上段、北壁
マリアの誕生
マリアの神殿奉献
マリアの婿選び
求婚者の祈り
マリアの婚約
婚約の行列
凱旋門
受胎告知の天使を遣わす神
受胎告知
エリザベト訪問
中段、南壁
キリスト生誕
東方三博士の礼拝
幼児キリストの神殿奉献
エジプトへの逃避
幼児虐殺
中段、北壁
神殿でのキリスト
キリストの洗礼
カナの婚礼
ラザロの復活
キリストのエルサレム入城
神殿清め
凱旋門
ユダの裏切り
下段、南壁
最後の晩餐
弟子の足を洗うキリスト
ユダの接吻
キリストを引見するカイアファ
鞭打たれるキリスト
下段、北壁
十字架磔刑への道行
磔刑
キリストへの哀悼
キリストの復活
キリスト昇天
聖霊光臨
下段、北壁、悪徳
愚かさ
不安定
憤怒
不正
不信心
嫉妬
絶望
下段、南壁、七元徳
慎重
勇気
節制
正義
信仰
慈善
希望
正面の壁
最後の審判
天井
天井を高価な顔料の青で彩色することは古代からの伝統でした。
星模様がちりばめられています。