こんにちは!
今回は、60歳近くまで真っ黒な絵を描き、その後色彩豊かな絵を描いた画家ルドンについてです。
早速見ていきましょう!
オディロン・ルドン(1840-1916年)
オディロン・ルドン《自画像》1867年
オディロン・ルドンはフランスの画家です。
両親と離れ離れ
フランスのボルドーの裕福な家庭に生まれました。
家族はアメリカの開拓民として成功し、帰国したばかりでした。
生後2日で、10キロ離れたメドック地方ペイルルバードの叔父のところに預けられました。
ルドンはこのことに大変ショックを受け、何か複雑な事情があったのかもしれませんが、ルドン自身は母親に疎まれたためだと信じていました。
なぜなら、兄は、両親の元で愛情深く育てられていたからです。
母親からの愛情に飢え、病弱で学校へも行っていませんでした。
さらにペイルルバードは、どこか荒涼とした土地で、これらのことから内気だったルドンは、ますます内向的な性格になっていきました。
学校は嫌いだけど…
11歳のとき、ボルドーに戻され、遅れて寄宿学校へ入学しましたが、学校が大嫌いでした。
ボルドー在住でドラクロワが大好きな画家ゴランと出会います。
17歳のとき、12歳年上の植物学者アルマン・クラヴォーと出会い、顕微鏡でいろんなものを見たり、自然科学、植物学、宗教、哲学、文学と幅広い知識を得ました。
また、クラヴォーが読んでいたエドガー・ポー、フロベール、ボードレールを読み始めました。
18歳のとき、学校を卒業し、父親の望む建築の勉強を始め、エコール・デ・ボザールの受験を受けるも不合格…。
建築家の道は諦めざるを得ませんでした。
幻想を描く
24歳のとき、パリに出て画家ジェロームのアトリエに入りますが、彼の「見たとおりにそっくり描くのが芸術」という教えに反発して辞めてしまいます。
ボルドーに戻ったルドンは、銅板画家ロドルフ・ブレダンと出会い、想像力で描くことを学びます。
30歳のとき、普仏戦争が勃発し、従軍しましたが、元々病弱なルドンは病気になって除隊されます。
黒い絵
戦後はパリに出て、木炭デッサンで作品を描きためていました。
オディロン・ルドン《眼の気球》1878年
38歳のとき、レイサック夫人のサロンで友達になったラトゥールに石版画(リトグラフ)を教わります。
サロンは、ブルジョワたちの社交場でした。
オディロン・ルドン《版画集『夢の中で』Ⅷ 幻視》1879年
39歳のとき、初の石版画集「夢の中で」を出版しました。
結婚
オディロン・ルドン《刺繍をするルドン夫人》1880年
40歳のとき、レイサック夫人のサロンで出会った13歳年下のカミーユ・ファルトと結婚しました。
結婚後、制作ペースが急に早くなりました。
結婚から10年後の手紙のなかで「私は妻に生涯の運命の女神を見出したのです」と書いています。
41歳のとき、パリで木版画の小さな個展を開くなど、活動が本格化しました。
象徴主義の文学者ユイスマンスの「さかしま」にルドンが登場し、デカダンな画家として注目を浴びます。
46歳のとき、第8回印象派展(最後の回)に出品しました。
息子
長男のジャンが生まれましたが、6か月で亡くなってしまいました。
オディロン・ルドン《アリ・ルドンの肖像》1898年
49歳のとき、次男のアリが生まれ、とても可愛がりました。
恩師の死
オディロン・ルドン《版画集『夢想』No.1 それは一枚の帳、一つの刻印であった》1891年
50歳のとき、親しかったクラヴォーが亡くなりました。
上の作品は、クラヴォーに捧げた版画集で、1枚目は、クラヴォーの顔をキリストに見たてて描いています。
美しい色彩へ
オディロン・ルドン《ヴィオレット・ハイマンの肖像》1910年
57歳のとき、ペイルルバードの農園を兄が売却しました。
これを機に、ルドンの作品には、草花や神話などをモチーフにした明るくて色彩豊かな作品が多くなりました。
63歳のとき、レジオン・ドヌール勲章を受章しました。
オディロン・ルドン《目を閉じて》1890年
64歳のとき、上の作品が国家買い上げになりました。
モデルはカミーユです。
オディロン・ルドン《長首の壺の草花》1912年頃
ルドンの絵に描かれる花は、妻のカミーユが大切に庭で育てたものでした。
オディロン・ルドン《キュクロプス》1914年
ギリシャ神話に登場する巨人族キュクロプスのポリュフェモスが、海の精霊ガラテアを優しく見つめています。
または、身を潜めるガラテアと、彼女を探すポリュフェモスのようにも見えます。
ポリュフェモスはルドン、ガラテアはカミーユだと考えられています。
ポリュフェモスはガラテアに恋をしますが、彼女が愛していたのは、美青年のアキスでした。
逆上したポリュフェモスはアキスを殺してしまします…。
この絵では、実らないガラテアとの恋や、怪物の孤独感が表現されています。
息子を探して…
74歳のとき、第一次世界大戦が勃発し、息子のアリが召集され、その後音信不通に…
息子の手がかりを求めて探しまわるうちに体調を崩し、風邪をこじらせ、アリの身を心配しながらカミーユに看取られ76歳で亡くなりました。
アリはというと、戦争を生き抜き、戦後、無事戻ってきています。
まとめ
・ルドンは、幻想を真っ黒な世界で表現し、60歳近くでカラフルで鮮やかな絵を描いた画家