こんにちは!
今回は、庭師モネ、庭をつくりこみながら絵を描く編です。
早速見ていきましょう!
庭師モネと睡蓮&車デビュー
前回のおさらい
モネは3年連続でロンドン旅行に出かけました。
庭と池を拡大
クロード・モネ《睡蓮》1903年
61歳のとき、ジヴェルニーに新たな土地を購入しました。
庭の睡蓮の池を拡張する工事を行いました。
クロード・モネ《睡蓮》1903年
そして、60代後半まで、『睡蓮』第2連作に取り組みました。
ここでは、第1連作の太鼓橋は描かれなくなり、池の水面が大きく描かれるようになりました。
また、当初は睡蓮の花や葉が主なモチーフでしたが、次第に水面に移る空や柳の影が主役になっていきました。
息子たちの勧めで自動車を購入しました。
ピサロとの最後の展覧会
62歳のとき、ニューヨークのデュラン=リュエル画廊で個展を開催しました。
クロード・モネ《ヴェトゥイユ》1901年
パリのベルネーム=ジューヌ画廊でピサロと二人展「モネの新連作ならびにピサロ近作展」を開催しました。
クロード・モネ《ヴェトゥイユ》1901年
60歳からこの展覧会が開かれるまで、ヴェトゥイユでも制作をしていました。
20世紀になるとモネの名声は、アメリカをはじめ世界各国へ広がっていきました。
そして母国フランスでも大家扱いを受けるようになっていました。
作品はモネ自身も驚くほどの高額で取引され、前衛的で革新的と見なされていたモネも確固たる古典になっていました。
63歳のとき、ベルネーム=ジューヌ画廊で開催された印象派の展覧会に参加しました。
『睡蓮』の連作に着手しました。
ピサロが世を去りました。
クロード・モネ《ウォータールー橋、陽光の効果》1903年
64歳のとき、『テムズ川』の連作がデュラン=リュエル画廊で展示されました。
車で家族旅行
妻アリス、次男ミシェルとともに、スペイン・マドリードへ車で旅行しました。
クロード・モネ《ルーアン大聖堂、扉口、陽光》1894年
65歳のとき、ロンドンのグラフトン・ギャラリーでデュラン=リュエルが大規模な印象派の展覧会を開催しました。
モネの作品も55点展示されました。
66歳のとき、セザンヌが亡くなりました。
次回、なんとモネの愛する睡蓮の池が水没してしまいます!どうなるモネ!?!?
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