こんにちは!
今回は、モネのロンドン旅行についてです。
早速見ていきましょう!
モネのロンドン旅行×3
前回のおさらい
モネは50代になってやっと『睡蓮』を描き始めました。
ロンドン再訪
クロード・モネ《国会議事堂》1900-1901年
59歳のとき、ロンドンを旅し、『国会議事堂』の連作に着手しました。
シスレーが亡くなりました。
クロード・モネ《ヒマワリとシュザンヌ・オシュデの肖像》1890年
義娘シュザンヌが2人の子供を残して世を去ると、夫バトラーはシュザンヌの姉妹のマルトと再婚し、彼はジヴェルニーで生涯を終えることになります。
『睡蓮の池』の連作に着手しました。
60歳のとき、再びロンドンを旅行し、制作しました。
初期の睡蓮
クロード・モネ《日本橋》1899年
デュラン=リュエル画廊で開催された個展「モネ近作展」で《睡蓮の池》13点を展示しました。
60歳までの『睡蓮』第1連作では、太鼓橋を中心に、睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれています。
またロンドンへ
クロード・モネ《ウォータールー橋、ロンドン》1902年
61歳のとき、またロンドンへ旅行し、制作しました。
「テムズ川の霧の効果」を描くことを試み、サヴォイ・ホテルから見たチャリング・クロス橋とウォータールー橋、聖トーマス病院から見た英国議事堂(ウェストミンスター宮殿)に集中して連作に取り組みました。
上の絵は、サヴォイホテルの部屋から見える、テムズ川にかかるウォータールー橋を描いた41点の連作のうちの1枚です。
この作品は、1921年12月頃(モネ81歳)、松方幸次郎がモネから直接買い付けた作品だといわれており、現在上野の国立西洋美術館にあります。
3年連続で訪れたロンドンでは100点ほどを制作し、ジヴェルニーのアトリエで仕上げました。
展覧会の反応は…
クロード・モネ《ロンドン、国会議事堂:霧に透けて見える太陽》1904年
これらの連作は、64歳の春にデュラン=リュエル画廊で展示されました。
印象主義の到達点として評価する見方があった一方、セザンヌにならってフォルムを重視する若い世代からは、堅牢さを欠く時代遅れの作品との批判も受けました。
次回は、モネ、車を買う&夫婦最後の旅行編です。
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