こんにちは!
今回は、フーケの「ムーランの聖母」を解説します。
早速見ていきましょう!
目次
ムーランの聖母
ジャン・フーケ《ムーランの聖母》1454-1456年
聖母子を描いた絵ですが、なんだかとっても異様な雰囲気がありますよね?
聖母マリア
何といってもこの不自然な胸元…。
乳房が球体で、位置も変(特に左は脇の下から生えているよう)、左右で大きさも極端に違います。
フーケが人を描くのが下手だったのかというと、他の作品からしてそういうことではないため、なぜこんな非現実的に描いたのかは謎のままです。目立たせるためなら大成功ですが。
頭がスキンヘッドなのは、剃髪して昇天することを表しているのかもしれません。
世界初の公式寵姫
真珠や瑪瑙などの宝石が散りばめられている王冠や王座、黒い斑点のある豪華な毛皮のケープから、モデルが高貴な人物だとわかります。
彼女は、フランス王シャルル7世の寵姫、アニエス・ソレルでした。
シャルル7世の義弟でナポリ王の妻イザベル・ド・ロレーヌの侍女をしていた時に見染められ、王の愛人になりました。
2人が出会ったのは、王40歳前後、アニエス20歳(30歳説もあり)の時でした。
彼女の父親が一兵卒だったということ以外、彼女の前半生についてはよくわかっていません。
アニエスは、世界初の公式寵姫と言われています。
公式寵姫とは何かというと、王の多くの愛妾たちの中からただひとり選ばれ、宮殿内に自分専用の部屋をもらえ、全ての支出を国庫から与えられ、王が死ぬまで身分を保証された女性のことです。
宮廷で一番権力のある女性は、名目上は王妃マリーでしたが、実質的にはこの公式寵姫でした。
マリーの寛容さとアニエスの王妃を尊重し立場を弁えた姿勢によって、王妃と寵姫の仲は悪くはなく、共に連れ立って出かけたり、お茶をしたりしていたそう。かなり珍しいのでは。
ちなみに王妃マリーは、トランプのクローバーのクイーンのモデルとされています。(異説あり)
絶世の美女で高い教養をもつアニエスに、シャルル7世はベタ惚れでした。
どんな場所でも王の隣には彼女がいると言われ、王の子を3人も産みました。
ジャンヌ・ダルクを裏切った王シャルル7世
ジャン・フーケ《フランス国王シャルル7世の肖像》1450-1455年頃?
シャルル7世は、母親から王の子ではないと言われ、王位継承権を敵に奪われてしまいます。
そんな時、ジャンヌ・ダルクに窮地を救われ無事戴冠することができました。
しかし命の恩人である彼女を見殺しに…。
とはいえ、冷酷で非道な人物というわけでもなかったそうで、なぜ敵のイギリスに引き渡したのか理由がいまだに不明なんだそう。(助けられなかっただけかもしれないとも言われています)
王妃が12人の子供を産み、後継者には困りませんでしたが、その後継者である息子と対立します。
アニエスと出会い、彼女のおかげで、イギリスに占領されていた領土を奪還し、「勝利王」とまで呼ばれるようになりましたが、彼女の死後正気を失い、息子からの毒殺に怯え、何も口にしなくなり、最期は餓死しました。
胸出しファッションを流行らせる
アニエスは宮廷のファッションリーダーでもあり、宮廷の女性は皆、彼女の真似をしました。
どんな格好だったのかというと、絵の通りで、常に胸を出していました。
あまりにも皆が胸を出しているので、教皇から「教会の中で乳首を見せるのはいかがなものか」と苦情を言ったと伝えられています。
世界で初めてダイヤを身に付けた女性
アニエスは、それまで男性にしか使用を許されていなかったダイヤモンドを初めて身に付けた女性でした。
ダイヤモンドは18世紀前半になるまで産出量が少なく、ヨーロッパではほとんど流通しておらず、ものすごい希少価値でした。
王が権力を誇示するためのダイヤを、宝飾として使えたことに、彼女の権力がどれくらい大きかったのかがわかります。
突然の不審死
アニエスは、贅沢三昧な生活を送りましたが、それだけでなく、積極的に政治に関与しました。
王の事実上の重臣として政務の場に同席し、軍費を増やしてイギリス軍を撃退するように進言したり、戦地へも同行しました。
王が彼女の言いなりだったため、王太子を中心として彼女をよく思わない人々もいました。
そしてついにアニエスは、4人目の子供を妊娠中、不審死を遂げました。
ヒ素を盛られたといわれていました。
この作品は、アニエスの死後制作された作品です。
そう思って見ると、天使たちが椅子ごと彼女を天へ運んでいくところなのかもしれません。
2005年の最新の研究によると…
2005年、フランスの研究者がアニエスの死因解明のため遺骨を調べたところ、ヒ素は出てきませんでした。
しかしその代わりに、高濃度の水銀が検出され、水銀による中毒死と発表されました。
どちらにせよ毒殺だったのかというと、そうとも言い切れないそうで…
というのも、この絵を見てわかるように、アニエスの肌は真っ白でした。
自慢の陶器のような白い肌を維持するため、漂白作用のある水銀入り化粧品を、毎日何度も全身に塗りたくっていました。
しかし、シミやソバカスを取る水銀は、皮膚の薄皮を剥がすことと同じで、長年多用するうちに皮下組織を壊して体内に浸透し、慢性水銀中毒を引き起こし、肝臓や腎臓を悪くすることに…。
当時は、水銀だけでなく、硫酸や鉛白、昆虫の粉末など現代では信じられないものが材料として多々使われていました。
そのため当時、原因不明で亡くなった女性たちの中には、化粧品によって命を落としていた人も少なくなかったと考えられています。
ちなみに日本で水銀入り化粧品が販売禁止になったのは1969年とつい最近のことだったりします。恐ろしい…。
さらに、彼女が苦しんでいた回虫症の薬が当時は水銀だったことから、これが原因では?ともいわれています。
彼女亡き後、王は彼女の親戚を愛妾に迎えましたが、公式寵姫を持つことは二度とありませんでした。
イエス
イエスが左手で何かを指差しています。
人差し指の影から、天井から祝福の光が降り注いでいることがわかります。
この作品は、元々二連祭壇画の右翼パネルで、左翼には…
ジャン・フーケ《聖ステファノとエティエンヌ・シュヴァリエ》1454年頃
聖ステファノと聖母子に祈る寄進者が描かれており、イエスの指差した手がそちらへ視線を誘導しています。
De Madonna van Fouquet als deel van een tweeluik
出典:KMSKA『6 dingen die je moet weten over de Madonna van Fouquet 』
赤と青の天使
実は天使には9つの階級があり、見た目が違います。
天使の中で1番偉いのがセラピムで、赤色という決まりがあります。
とはいえ、こんなぺったり塗ってあるのも珍しいですが。
目や肌の艶が、またなんともいえぬ雰囲気を醸し出しています。
2番目に偉いのがケルビムで、青色です。
そう、彼らはなんか異様なモンスターではなく、れっきとした天使です。それもとっても偉い。
さらにいうと、本来はセラピムもケルビムも、胴体や手足はなしで、頭部に羽が生えただけで描かれるのが普通でした。(こわい)
彼らは、マリアの戴冠時に現れる神の使いでした。