こんにちは!
今回は、モネの《サン・ラザール駅》についてです。
早速見ていきましょう!
サン=ラザール駅
クロード・モネ《サン=ラザール駅》1877年
SLは最新の乗り物だった
鉄道網の発達により大量輸送が可能になって、人々はちょっとした遠出も気軽に楽しめるようになりました。
モネの《サン=ラザール駅》には、もくもくと煙を噴き上げながら駅へ入ってくる、黒い蒸気機関車が描かれています。
現代の私たちから見ると、SLはノスタルジーを感じる昔の列車というイメージですが、当時、蒸気機関車は、技術革新の象徴ともいうべき最新鋭の乗り物でした。
なので、この絵に何を感じるかは当時と今では全く違うものでした。
ガラスの天窓から射し込む陽光によって、蒸気や煙は多彩な色を帯びています。
モネは、蒸気機関車より、この、画面に溢れる分厚い煙を主役に描いているようにみえます。
モネだけでなく、新しいもの好きのパリっ子たちも、煙を見るために駅に集まりました。
パリで最も古いターミナル駅
サン=ラザール駅は、パリのターミナル駅としては最も古く、1837年に建てられました。
駅建設以前は、周辺に何もない丘でした。
ただし早くも6年後には移転し、さらに1867年のパリ万博にむけて改良工事がなされ、絵に見られるような、鋭角的印象の、鉄とガラスによる最新型近代建築へと生まれ変わりました。
この頃のパリでは、常にどこかで工事の音が響きわたっていたくらい、不潔で薄汚かった市中心部貧民窟を、新しいモダンな建物や並木道に変えていたところでした。
サン=ラザール駅の独特の三角屋根の駅舎は現代も変わっていません。
日本のようにプラットフォームが高くないことがわかります。
ヨーロッパ橋
遠景に線路をまたいで見えるのはヨーロッパ橋です。
この橋をマネやカイユボットも描いています。
エドゥアール・マネ《鉄道》1873年
マネは、サン=ラザール駅を舞台に、線路脇の建物の庭から駅構内の方を眺める構図で描いています。
背景に、線路の向こう側の建物やヨーロッパ橋の一部が見えています。
ギュスターヴ・カイユボット《ヨーロッパ橋》1876年
そもそもモネがサン=ラザール駅を描くために、駅の近くにアトリエを借りる資金を出したのもカイユボットでした。
ギュスターヴ・カイユボット《ヨーロッパ橋》1876-1877年
12点のサン=ラザール駅
ハッタリで許可を得る
モネは、1877年1月、一時的にアルジャントゥイユを離れてパリにやってきて、サン=ラザール駅の構内やその周辺で絵を描く許可を得るために奮闘しました。
具体的にどうしたのかというと、モネの友人ルノワール曰く、
「モネは1番いい服を着、袖のレースを膨らませ、サン=ラザール駅で駅長に面会を申し込んだ。彼の望みはことごとく叶えられ、汽車は止められ、ホームにいる人は立ち退かされ、モネの気に入るような煙を出すため、機関車にはいっぱい石炭が詰め込まれた」
つまり、まだ全然売れてなかったモネが、大画家のフリをして駅長をうまく丸め込んだということです。
また駅の付近に、絵を描くための部屋を借り、4月まで同駅の連作の製作に取り組みました。
作品を見るとよくわかりますが、駅構内と周辺に立ち入る許可を取れたからこそ、その視点から描けたという絵があります。
この連作については12点が残っており、目録によるとそのうちの7点を第3回印象派展に出品しました。(とはいえ、当時の展覧会評を見ると目録と実際に出品していた作品や数が違う可能性があり、6〜8点ほど出展していたよう)
12点を紹介
クロード・モネ《サン=ラザール駅》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
オートゥイユ線のプラットホームが描かれています。
《サン=ラザール駅、列車の到着》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
《サン=ラザール駅、ノルマンディーからの列車》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
ノルマンディー線のプラットホームが描かれています。
《サン=ラザール駅》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
ノルマンディー線のプラットホームが描かれています。
《ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
《サン=ラザール駅の外、陽光の効果》1877年
《サン=ラザール駅の外、列車の到着》1877年
第3回印象派展に出品したかも?といわれている作品です。
《サン=ラザール駅の外、陽光の効果》と同じ構図が用いられています。
オートゥイユ線のプラットホームが描かれています。
《サン=ラザール駅、構外の線路》1877年
第3回印象派展に出品したかも?といわれている作品です。
《サン=ラザール駅、外の光景》1877年
第3回印象派展に出品したかも?といわれている作品です。
《サン=ラザール駅、外の光景》1877年
第3回印象派展に出品したかも?といわれている作品です。
《サン=ラザール駅、構外(信号)》1877年
第3回印象派展に出品した作品です。
《バティニョールの切通し》1877年
わくわくする駅
サン=ラザール駅は、ノルマンディ地方への発着駅です。
なので、サン=ラザールにはセーヌ河畔や海辺の行楽地が強く結びついていました。
詩人マラルメ日く、「ここはどの駅よりもパリらしい。夏になると潮の香がする」とのこと。
パリっ子はわずかな休みを利用しては、サン=ラザール駅から蒸気機関車に乗り、ある いはセーヌ川を定期船で下って、近郊の新興行楽地へ出かけました。
ボート遊びをしたり泳いだり、散策したりダンスをしたり…と余暇を楽しみました。