ロートレック「ムーラン・ルージュのラ・グリュ」を超解説!店の宣伝ポスターだった?

こんにちは!

今回は、ロートレック《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》についてです。

早速見ていきましょう!

ムーラン・ルージュのラ・グリュ


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》1891年

人気店 ムーラン・ルージュ

現在もパリで人気の観光スポット「ムーラン・ルージュ(赤い風車の意)」は、モンパルナスという歓楽街にあるキャバレーです。

ムーラン・ルージュは、1889年のパリ万博の年、エッフェル塔と同じ年に生まれました。

酒、歌、ダンス、大道芸、そして売春婦などなど…。

よそと出し物は変わらないのに、ここがパリ随一の人気店となったのは、高額で雇ったすばらしいダンサーをそろえていたからでした。 

ロートレックはここに通い詰め、ダンサーたちの絵を多数描きました。

余談ですが、ムーランルージュのダンサーは「ドリス・ガール」と呼ばれ(振付師ドリスの名が由来)、当初は4人しかいなかったドリス・ガールも今では約60人います。

その中にはスウェーデン人と日本人のハーフの女性が在籍していたこともありました。

店の宣伝ポスター

石版多色刷ボスター《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》は、ムーラン・ルージュの宣伝用のポスターでした。

ムーラン・ルージュの支配人が、常連だったロートレックに制作を依頼しました。

なんとびっくり縦2メートル近くあります。かなり大きなサイズです。

浮世絵から影響を受け、大胆な構図と視点の奇抜さから斬新な作品に仕上がっています。

大人気ダンサー ラ・グーリュ

 

影絵のように黒く居並ぶ観客の前で、スカートを巻き上げて踊るフレンチ・カンカンを踊っている女性がラ・ グーリュです。

ラ・グーリュはニックネームで「大食い」という意味です。

ダンスしながら客のお酒を飲みまくったところからこの愛称がついたそう。

彼女はかつての洗濯女にして、今や大人気のカンカン・ダンサーです。

 

開脚や側転、素早い足のステップ、下着をさらけ出して踊るカンカンの刺激の強さを、現代人が理解するのは難しいかもしれません。

現代では、露骨でセクシーなショーダンスというのはよくあるし、見慣れていますが、当時はこんな刺激的なダンスはなかなかありませんでした。

曲芸的ダンサー 骨なしヴァランタン

 

手面の、特徴ある容姿の男性は、しなやかな動きから「骨なしヴァランタン」と呼ばれていた彼女のダンスパートナーです。

この人気コンビは、アクロバット的ダンスで観客を魅了しました。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュで踊るダンサーのラ・グーリュと骨なしヴァランタン》1894年

このころからダンスの華やかなショー化が進み、客たちが自分で踊る時代から、プロのダンサーの踊りを堪能する時代へと、徐々にシフトしていきました。

凝ったサイン

 

ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)のサインがあります。

TとLの間に横線を入れてHにも見えるようにしている面白いデザインです。

ポスターは画家のする仕事じゃない?

伯爵家のひとり息子ロートレックは、「ムーラン・ルージュ」の主のような存在でした。

毎晩、常席に腰を落ち着け、アブサンを飲みながら客や芸人や娼婦を観察し、その生態をスケッチしていました。

ロートレックのの関心は印象派のように外の「自然」へは向かわずあくまで人間、それも人工照明の下にうごめく人間たちへ向かい、本来の階級差を考えるとありえないような交流を彼らと結びました。 

多くの画家は、「商業的なポスターは画家のする仕事じゃない」と否定的でしたが、ロートレックは全く気にしておらず、ポスター制作を引き受けました。

この作品はロートレックが初めて製作したポスターで、大好評を博しました。

このポスターが話題となり、ロートレックは一躍有名になりました。