こんにちは!
今回は、全てにおいて軽い絵を描き続けた画家、ブーシェについてです!
後半、ディズニーシーにパロディとして置いてある絵も登場します〜!
早速見ていきましょう!
目次
フランソワ・ブーシェ(1703-1770年)
フランソワ・ブーシェ《アトリエの自画像》1730-1735年
フランソワ・ブーシェはロココ期のフランスの画家です。
刺繍のデザインなどを描く画家の息子として、パリで生まれます。
師匠の絵はセンスない
18歳のとき、当時の人気画家ルモワーヌに弟子入りします。
弟子の面倒を見るわけでもなく「得るものがないな…」という状態。
長くこの場に留まることはありませんでした。
大賞取ったのに、賞品無しなんて…!
20歳のとき、アカデミーのローマ賞コンクールで1等賞を受賞。
その賞品としてローマ留学できるはずが…アカデミーの財政難から無しに。
自力で貯める
そこで版画家のカールの元で下絵制作の仕事をし、留学資金を貯めました。
さらに、ロココの先駆者ヴァトーが亡くなり、ヴァトーの友人ジュリエンヌから「ヴァトーの素描集出そうと思うんだけど手伝ってくれない?」と声をかけられます。
その仕事の際に、たくさんのヴァトーの絵を見ることができ、インスピレーションを受けます。
ローマへ留学
貯めたお金で念願のローマ留学へ。
ローマといえばミケランジェロやラファエロなどの有名画家の絵を見て、勉強するのが定番でしたが、ブーシェの心には響きませんでした。
勉強をしに行ったというよりかは、遊びに行った感じだったよう。
13歳差婚
フランソワ・ブーシェ《ブーシェ夫人》
美術アカデミーの正会員となった後、30歳で17歳のマリーと結婚します。
マリーはとても美人で、ブーシェの作品のモデルにもなっています。
妻の不倫相手からの依頼
フランソワ・ブーシェ《ヴィーナスの凱旋》1740年
スウェーデン大使のテッシン伯爵は、ブーシェの妻マリーを大変気に入ります。
マリーの色っぽい絵欲しさに何度もブーシェに絵を依頼します。
上の絵の裸のヴィーナスのモデルは、マリーです。
そして、マリーとテッシン伯爵は親密な関係に…
ブーシェ大激怒!かと思いきや、全然OKでした。
なぜなら、ブーシェにも愛人がいたからです。
夫婦の関係すら、ロココって感じです。
52歳のとき、王立ゴブラン製作所の所長に就任しました。
ポンパドゥール夫人のお気に入り画家に
フランソワ・ブーシェ《ポンパドゥール夫人》1756年
ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、ロココ調のものが大好き。
ブーシェの絵を大変気に入ります。
この頃、後に有名になる画家のフラゴナールが、ブーシェのところに弟子入りしてきました。
絵がきっかけで、王の愛人に
フランソワ・ブーシェ《金髪のオダリスク》1752年
この絵のモデルは、画家の愛人でもある13歳のルイーズだといわれています。若…
ルイ15世はこの絵を見て彼女を気に入り、自分の元に呼んだなんていう逸話も。
シノワズリーの第一人者
フランソワ・ブーシェ《中国庭園の眺め》1742年
ロココ期に大流行した、中国をイメージした美術様式シノワズリーの第一人者になります。
ディズニーシーにパロディがある絵
フランソワ・ブーシェ《羊飼いと羊飼いの休息》1761年
この絵、ディズニーシーのお土産物屋さんにパロディとして飾られています。
ディズニーシー版は、眠れる森の美女と王子様です。
可愛いので是非探してみてください〜!
名誉は得たけど…
ルイ15世の宮廷画家に、そして美術アカデミーの院長に就任します。
これらの名誉を得たけれども、ロココ人気が段々と下がり、晩年は絵だけでなく、人格まで非難されるように…。
ルーヴル宮内ののアトリエで制作中に倒れ、帰らぬ人に。
その場に残されていた絵などは、弟子のフラゴナールが買い取っています。
19世期後半になってやっと、ブーシェは再評価されます。
あのルノワールも、ブーシェの影響を受けています。
確かに女性の描き方のスタンスが似てるかも…
まとめ
・ブーシェはロココを代表する画家 ・自分も妻も別の恋を楽しむ享楽的な生活を送っていた ・弟子はフラゴナール