こんにちは!
今回は、ドビュッシー作曲の『海』についてです。
早速見ていきましょう!
海
《『海』管弦楽のための3つの交響的素描》は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1903年から1905年にかけて作曲した管弦楽曲です。
副題の付いた3つの楽章(第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」第2楽章「波の戯れ」第3楽章「風と海との対話」)で構成されています。
東洋風の音階を使った波の表現から、北斎の描いた波を感じることができます。
北斎の絵を表紙に
1905年に出版された『海』初版スコアの表紙
『海』初版のオーケストラスコアの表紙デザインには、ドビュッシー自身の希望により、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》の左半分の大きな波の部分が用いられました。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830-1832年
ドビュッシーは若い頃、後にロダンの愛人となるカミーユ・クローデルと親しくしており、彼女から北斎の版画や日本美術についてレクチャーを受けたといわれています。
北斎の絵に影響を受けた?
エリック・サティ撮影 ドビュッシーとストラヴィンスキーの写真 1910年
また、彼の自室にはルドンの石版画やカミーユ・クローデルの彫刻などとともに北斎の《神奈川沖浪裏》が飾られていました(画面上の絵)。
これらの事実から、ドビュッシーの『海』は「北斎の浮世絵にインスピレーションを得て作曲された作品」としてよく紹介されますが、実際には創作における関連性を明確に裏付ける史料は見つかっておらず、憶測でしかないそう…。
私生活はトラブル…トラブル…
ドビュッシーはリリーという妻がいながらも、『海』作曲中に人妻のエンマと不倫旅行に出かけ、そこで実際の海を感じながら作曲しました。
彼は妻と別れようとしますが、リリーがピストル自殺未遂を起こし、彼は世間から非難され、友人の多くを失いました。
『海』を書き上げた頃、やっとリリーが離婚に同意し、エンマを以降の生涯における伴侶とし、娘も生まれました。
そんな波乱の私生活の中で、この名曲は生まれました。