マティスの「ダンス」を解説!絵以外にも壁画があるって本当?

こんにちは!

今回は、マティスの《ダンス》を解説します。

早速見ていきましょう!

ダンス

《生きる喜び》1905-1906年

1906年、36歳のときのアンデパンダン展に出品した作品です。

鮮やかすぎる色彩と空間の歪みから、世間一般的には不評でした。

ピカソはこの絵を見て衝撃を受け、《アヴィニョンの娘》の制作に取り掛かったそう。

 

中央で輪になって踊っている6人組がいますね。

これが《ダンス》につながっていきます。

《音楽》のスケッチ 1907年

《ダンス》1909年

《ダンスⅠ》1909年

約2.6×4メートルもある、等身大どころか超巨大な作品です。

この絵は、マティスの息子ピエールの画廊経由でニューヨークへ渡り、現在はニューヨーク近代美術館所蔵の作品です。

この作品は、踊っている人を描いたのではなくて、「ダンス」そのもののイメージを描いたものだともいわれています。

元ネタ?

『春の祭典』というヤバめな作品

ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの有名なバレエ音楽『春の祭典』の「少女のダンス」に影響を受けていると考えられています。

この『春の祭典』という作品をyoutubeで見てみたのですが、謎のリズム感と不協和音&謎の踊りで、怖いしクセが強かったです。(笑)

ウィリアム・ブレイクの絵

ウィリアム・ブレイク《オベロン、ティターニアとパックと踊る妖精たち》1786年

マティスの《ダンス》は、ウィリアム・ブレイクのこの絵の踊る人物の構成や配置が似ていることから、影響を受けたのでは?とも考えられています。

《「ダンス」のある静物》1909年

《ダンスⅡ》1910年

こちらも《ダンスⅠ》とほぼ同じ大きさです。

躍動感のある作品です。

マティスの絵は、今までにない鮮やかな色彩を使いつつも、荒々しくてキツい絵ではなく、調和のとれた安心感を与える絵を描いています。

手が離れている

マティスの《ダンス》の絵をよく見ると、手前の2人の手が離れているんですよね!

鑑賞者を参加させるためでは?ともいわれていますが、

個人的には、手前の人のみんなのダンスについていけてない感じから、ダンスが激しすぎてとか、早すぎて手が離れたのか握れなかったのかなぁ…なんて思いました。(笑)

ただ、手が離れていても、色のつながりが途切れないように、の部分で手が離れています。さすが巨匠。

《音楽》1910年

こちらも《ダンスⅠ》《ダンスⅡ》とほぼ同じ大きさです。

《ダンスⅡ》と《音楽》は、ロシアのコレクターシチューキンが、自分の邸宅の階段に飾るため依頼した作品です。

シチューキンはマティスに「約束通り《ダンス》を自宅に飾ります。なかにはあざ笑う人もいるかもしれませんが、いつか時代が追いつくでしょう」と語っています。(そしてその通りになっていますね)

《「ダンスⅡ」のある静物》1912年

壁画

《ダンス》未完成 1931年

61歳のとき、アメリカのコレクターバーンズ(バーンズ財団)が、自分のコレクションを飾る美術館を建設することになり、そこの壁画を描いて欲しいと依頼され、《ダンス》を制作します。

彼はマティスと仲が良く、マティスの作品を60点持っていました。

上の作品、なぜ未完成なのかというと、マティスが寸法を間違えて、美術館に飾れなかったからです。

《ダンス》1931-1933年

改めて制作したのがこの作品です。

上の2つはパリ近代美術館所蔵です。

この作品や下のスケッチを元に完成させたのが…

《ダンス》壁画のためのスケッチ 1931-1932年

《ダンス》1932-1933年

こちらがバーンズ財団の美術館にある完成品です。