ミレーの大ファンだったダリが描いた「晩鐘」を一挙紹介!

こんにちは!

今回は、ダリの描いたミレーの《晩鐘》を紹介します。

早速見ていきましょう!

ダリの「晩鐘」

ミレーの「晩鐘」

ジャン=フランソワ・ミレー《晩鐘》1857-1859年

上の絵は、1日の仕事の終わりを告げる晩鐘が鳴り響き、それを合図に農民夫婦が手を休め、神と祖先に感謝の祈りを捧げる様子を描いたミレーの作品です。

ミレーファンのダリ

ダリの生家にも、この絵のレプリカが飾られていました。

ダリは幼い頃からそれを目にし、月日が経つにつれ、そのイメージは頭の中で増幅していきました。

 

《晩鐘》の女性の足元にある籠を不自然と感じたダリは、最初は籠ではなく、彼らの子供を入れた棺を描いたのではないかと考えました。

この絵は1日の終わりを感謝する祈りではなく、亡くなった子供を土に埋めた後、両親が祈っている情景だったものを、ミレーの気が変わったのか、誰かに忠告されたかして、最終的に籠に変更したのではないかと主張しました。

美術館の調査

ダリの説を裏付けるべく、美術館がX線調査をしました。

結果は微妙で、籠が描かれている部分の下に黒い壺のような影がなんとなく見えるけれども、それを棺と断定することは難しいというものでした。

カマキリ

ミレーに心酔していたダリは、《晩鐘》を大地母神の暗黒面を性的に捉えたものとし、「祈る女性の姿は、交尾の後にオスを食い殺そうと狙うメスのカマキリのポーズであり、男性は自身の下半身を帽子で隠している」と解釈しました。

ダリの描いた《晩鐘》

ダリは長年にわたって《晩鐘》に固執し、これをモチーフに作品を多数残しています。

サルバドール・ダリ《建築学的ミレーの「晩鐘」》1933年頃

幼年時代、晩鐘が鳴るとともに『晩鐘』の複製が見えるという体験をしたと、ダリは自伝『我が秘められた生涯』に記しています。

サルバドール・ダリ《ミレーの「晩鐘」の考古学的回想》1934年頃

ダリは、「晩鐘は私のこころに得体の知れない苦悶を生み出した。その苦悶はたいそう痛烈で二つの不動のシルエットの記憶が数年間も私を追いかけ廻し、常に意味もわからぬままつきまとっては、変わらぬ不安を引き起こすのだった」と語っています。

 

前景の2人はダリとダリの父親です。

サルバドール・ダリ《ミレーの晩鐘へのオマージュ》1934年頃

サルバドール・ダリ《たそがれの隔世遺伝(強迫観念)(ミレーの「晩鐘」を模して)》1934年頃